林子平墓(読み)はやししへいのはか

日本歴史地名大系 「林子平墓」の解説

林子平墓
はやししへいのはか

竜雲院境内にある。経世論者、とくに海防の先覚者である林子平の墓は、高さ一尺八寸、幅九寸、厚さ六寸五分の小墓石である。墓誌銘は「六無斎友直居士 寛政五癸丑六月廿一日 行年五十六歳」、碑裏には「林氏」とある。この碑は天保一二年(一八四一)に甥の林珍平が建てたもので、仙台藩士白石権太夫良能の書である。この年は、寛政四年(一七九二)に「三国通覧図説」および江戸の日本橋より唐・阿蘭陀まで境なしの水路なりの一文で高名な「海国兵談」の刊行により人心を惑わした罪で罰せられた子平が赦された年である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「林子平墓」の解説

はやししへいのはか【林子平墓】


宮城県仙台市青葉区子平町にある、江戸時代後期の経世論家・林子平(1738~93年)の墓。『三国通覧図説』『海国兵談』などを出し、海防の必要を唱えたが、そのため幕府から罰せられ、1793年(寛政5)、幽閉中に56歳で病没し、龍雲院に葬られた。当時は罪人であったため墓はなかったが、1841年(天保12)に赦され、翌年、龍雲院に墓碑が立てられた。墓碑は宝形造り瓦葺きの覆屋で保護され、覆屋の前面伊藤博文、大規文彦寄贈の顕彰碑が建てられている。1942年(昭和17)に国指定史跡となった。また、子平の墓があることから付近町名が「子平町」になった。JR仙山線東北福祉大前駅から徒歩約12分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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