小麦粉のだんごを入れた汁。小麦粉をやわらかめにこねて適当にちぎり,みそ汁やすまし汁で煮る。野菜その他ありあわせの材料を加えて増量することができ,かつ,調理が簡単なため,1923年の関東大震災時や第2次大戦直後の食糧難時代には主食副食兼用の食事として盛んに行われた。水団,水飩,炊団などと書き,水団の語がまず南北朝あたりから見られるようになる。《異制庭訓往来》以下の往来物が点心(てんしん)の品目を列挙する個所に登場してくるのだが,それがどんなものだったのかは,《日葡辞書》がSuitonを〈ある種の料理〉としているように,よくわからない。しかし,どうやら砂糖を包みこんだ葛(くず)粉のだんごではなかったかと思われる。それは伊勢貞丈が砂糖入り粟だんごである〈きんとん〉を,ときに〈すいとん〉と呼ぶとしていること,《北野社家日記》を見ると折りびつに入れて贈物にしていること,つまり汁料理ではなかったこと,などの理由による。そして江戸初期の《料理物語》では,葛粉をこねて短冊形に切り,みそ汁で煮たものになっている。この段階で,すいとんはだんごとうどんのあいのこ様の形態をとるようになり,1804年(文化1)の《料理早指南》第4編の〈上々のうどん粉にくずのこ合せ〉という過渡期をへて,現在のような小麦粉のだんご汁になった。1882-83年ごろのこと,東京の日本橋,京橋辺の大通りには夜ごとにすし,汁粉,おでん,そばなどの屋台店が出てにぎわったが,そうした中ですいとん屋が最も繁盛していたと,田山花袋は書いている。
執筆者:鈴木 晋一
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…ただ一,二の故実書に,不用意に食べると中から砂糖がとびだして顔へかかるから注意すべきだとか,手でつまんで食べるものだとか,書かれている。伊勢貞丈はこのきんとんを,アワのだんごの中に砂糖を入れたもので,色が黄なので〈金団〉といい,夏には氷水にひたして食べることもあるので〈すいとん〉とも呼ぶと記しているが,これは中国宋代に行われていた水団とまったく同じものであった。この砂糖入りだんごのきんとんは,江戸中期からはもち米の粉でつくってでき上りにきな粉をまぶし,あるいは粉をクチナシで黄に染めてつくったりしたが,やがて砂糖のかわりにアズキあんを包んだだんごにし,その上にまたあんをまぶす形式のものになり,さらに変化して現在の菓子のきんとんになった。…
※「水団」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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