死者の葬法の一種。二重葬で、死の直後に葬った遺骸(いがい)を、ある期間が過ぎたのち、取り出して骨を洗浄してまとめ、改葬する葬法。遺骨を重んじる形式で、日本および朝鮮、中国、東南アジアなどに広く分布するほか、アメリカ・インディアンの一部の部族にもみられる。東アジアの洗骨葬については、『列子』など中国の古い文献にみえ、『後漢書(ごかんじょ)』(5世紀前半)には東沃沮(よくそ)(朝鮮半島北東部)の洗骨葬の具体的な記述がある。
日本では琉球(りゅうきゅう)諸島の葬法の基本形態として知られている。沖縄の首里、那覇(なは)を中心とした地方の洞窟(どうくつ)墓や、それが発展した亀甲(かめのこう)墓では、横穴式の空洞の中央に棺を安置し、その奥や左右に、洗骨後の遺骨を納めた厨子(ずし)〔骨壺(こつつぼ)〕を置くようになっている。またいちばん奥には三十三年忌を済ませた遺骨をまとめて納める場所がある。洗骨は遺骸が白骨化するのを待って行う。七年忌が過ぎてからが普通であるが、その墓に納める新しい死者があると、三年忌が終わっていれば洗骨する。死者が続いたときは、仮墓や他家の墓に葬る。洞窟墓のほかに、地上葬として、小屋墓、石囲い墓、岩陰墓、露地墓もあった。かつて露地墓であった久高(くだか)島では、12年に一度、寅(とら)年に洗骨を行っていた。死後1年以内には洗骨を行わないというのは、宗教的には、遺骸供養が終わっていないからであろう。洗骨はすべて、死者の妻や娘など近親者の女性によって行われる。洗骨をする所が太陽にさらされるのを忌み、傘などで日よけをする。本来は日が落ちたあと行ったともいう。洗浄には水のほか焼酎(しょうちゅう)も用いる。頭蓋骨(ずがいこつ)を丁重に扱い、骨のいちばん上にのせて厨子に納める。夫婦は一つの厨子に入れる。
琉球諸島でもっとも古い紀年のある厨子は中国年号の弘治7年(1494)で、1534年の冊封使(さくほうし)、陳侃(ちんかん)の『使琉球録』には、洗骨の習俗の記事がみえる。先祖の遺骨を祀(まつ)る聖地を崇拝する風習もあり、村の先祖の遺骨を祀ったという伝えがある御嶽(おたけ)も各地にある。沖永良部(おきのえらぶ)島には、祭りのときに、世之主(よのぬし)(統治者)墓にある厨子の遺骨に焼酎を注ぐ行事があった。琉球諸島の洗骨葬には、死者の処理という問題を超えた、深い宗教的意義があった。土葬した遺骸の骨だけを集めて改葬する葬法は、日本の他の地方にも点在する。洗骨葬は日本文化の古層の一面を伝えるものであろう。なお琉球諸島でも、祝女(のろ)など神事をつかさどる職にあった人は土葬にし、洗骨はしなかった村もある。
[小島瓔]
中国では洗骨までの第一次葬を単なる本葬前の事前処置とみて凶葬といい、洗骨後の第二次葬を本葬=吉葬とした。世界各地に多くみられたが、沖縄、台湾、中国東南部では現在までこの風習が残っている。1914年(大正3)に喜田貞吉(きたさだきち)が日本にも古くからこの葬制があることを指摘して以来研究が進み、縄文時代にすでにこの風習が僅少(きんしょう)例ではあるが確認されている。縄文文化の伝統が強い関東・東北南部では弥生(やよい)時代にも洗骨を伴う再葬墓が多く知られている。洗骨葬は縄文・弥生時代でも特殊例であることから、貴人や巫女(みこ)のような霊力のあるものに限って行われたものともみられる。古墳時代以後の殯(もがり)も、埋葬前の第一次葬であり、洗骨を伴う儀礼であったと推測される。
[久保哲三]
『最上孝敬著『詣り墓』(1956・古今書院)』
死後一時的に埋葬(必ずしも地中に埋められるとはかぎらない)した死体を,一定期間を経た後に,掘り起こすなどして骨を洗い改葬する葬法。最初の死体処理を一次葬といい,改葬を二次葬,葬制の全体を複葬と呼ぶことがある。一次葬には,土葬のほか,住居のなかに安置しておく屋内葬,一時的に簡単な小屋や風よけを設けて安置する台上葬,洞窟や森に放置する風葬などが一般的であるが,まれには火葬を行う民族もある。二次葬は洗骨の後,なんらかのかたちで遺骨を保存するのが普通であるが,これに先立って死体を焼くボルネオのマアンヤン・ダヤク族の例もある。日本では奄美諸島や沖縄地方に典型的な例が見られるが,古くは全土に広まっていたらしいことが縄文時代,弥生時代および古墳時代の遺物によって推定されている。世界的にも分布は広く,インドネシア,メラネシア,熱帯アメリカおよびマダガスカルでは特に目だつ。これに朝鮮南部に散発的に見られる改葬の制度,中国南部から東南アジア大陸部にかけての多くの少数民族の葬法,さらに中国古代の葬礼から推定される複葬の存在(葬という語は本来二次葬を意味していたらしい)を加えると,この葬制が太平洋を取り巻く地帯で一般的に行われていたものであることが知られる。
民族誌のうえで最もよく知られている洗骨・複葬の例は,南ボルネオに住むヌガジュ・ダヤク族のもとでのティワーと呼ばれる葬儀である。この葬儀は普通,人の死後数年たってから行われる。その理由は一つには葬儀挙行のために必要とされる富の蓄積に時間がかかるからでもあるが,またそのあいだに一時的に村外の埋葬小屋に安置された死体の肉体軟部が腐敗するのを待つからでもある。遺族はティワーの挙行までのあいだ死者のために喪に服する。死者の霊魂はこの間地上で不安定な生活を送り,祖先の住む死者の国に移り住むことはできないでいるという。ティワーが始まると,死体は村のなかに運び込まれ,骨が棺から出されて念入りに洗われる。もし遺体が完全に骨化していない場合には,骨から肉をそぎ落とす作業が行われる。その後こうして浄化された骨は布に包まれ,高い柱の上に設けられた家族の納骨堂に納められることになる。この洗骨の儀式は水牛供犠(かつては人身供犠も)を伴う盛大な祭りであり,多くの客が招かれる。ティワーの例が示しているのは,洗骨・複葬が死体の単なる二次的処理にとどまる問題ではなく,服喪の制度や霊魂観・他界観に密接に関係するものだということである。死体の状態,霊魂の状態,そして生者(遺族)の状態は並行的な関係にたっている。死体・遺骨が清められて祖先の骨と合同するとともに,霊魂は神霊に導かれて死者の国に移行し,生者は服喪の禁忌を終えるのである。その意味でこの葬制は死にかかわる通過儀礼の構造をよく表したものといえる。
→再葬墓
執筆者:内堀 基光
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…破風墓は人家に似せてつくられている。埋葬後3年程度たつと遺骨を洗い清める〈洗骨〉が行われ,骨壺に入れて墓に納める。これにより子孫は先祖に対する義務を果たしたとされる。…
…したがって,骨を扱うことは人間そのもの,少なくともその最も主要な側面を扱うこととされることが多い。世界中に広く分布している複葬と呼ばれる葬法では,遺体は肉体軟部が腐敗したのち,あらためて骨を洗い改葬を行う(洗骨)が,こうして保存される骨は死者あるいは祖先の人格を表すものと考えられている。現代日本における火葬後の遺骨保存もこれと基本的には同じものといえよう。…
※「洗骨」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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