日本歴史地名大系 「清色城跡」の解説
清色城跡
きよしきじようあと
[現在地名]入来町浦之名、樋脇町塔之原
入来院・高城・東郷・答院の四氏は山北四族と称し、応安(一三六八―七五)以来、九州探題今川了俊と手を結び勢力を誇った(「島津国史」など)。同五年入来院重門は総州家島津師久の築いた
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
入来院・高城・東郷・答院の四氏は山北四族と称し、応安(一三六八―七五)以来、九州探題今川了俊と手を結び勢力を誇った(「島津国史」など)。同五年入来院重門は総州家島津師久の築いた
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