矢板市(読み)ヤイタシ

デジタル大辞泉 「矢板市」の意味・読み・例文・類語

やいた‐し【矢板市】

矢板

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日本歴史地名大系 「矢板市」の解説

矢板市
やいたし

面積:一六九・九四平方キロ

県の中央部北寄りに位置し、北は那須郡塩原しおばら町、東は大田原市・塩谷郡喜連川きつれがわ町、南は同郡氏家うじいえ町、西は同郡塩谷町。西部から北部は高原山麓の山地で、日光国立公園に属し、赤滝あかたき小滝こたき寺山てらやまなどに鉱泉が湧く。中南部は塩那えんな丘陵上に位置する。東部は大田原市との境界をほうき川が、中南部をうち川と同川支流のなか川・みや川・川が流れ、沖積低地を形成している。南東部を東北新幹線・国道四号・JR東北本線、中央部を南北に東北自動車道が走り、東北本線の矢板駅・片岡かたおか駅、東北自動車道の矢板インターチェンジがある。昭和三三年(一九五八)の市制施行までは塩谷郡に属した。

〔原始・古代〕

縄文時代の遺跡としては早期・前期の下伊佐野の雲入しもいさののくもり遺跡がある。その他近年発掘調査の行われたものとしては、弥生時代と重複する大槻の後中塒おおつきのうしろなかとや遺跡、乙畑の坊山おつはたのぼうやま遺跡、ほかに高塩たかしお遺跡・上長井わながい遺跡などがある。市域の古墳は六、七世紀頃の築造とされる群集墳が多い。おもな古墳には箱式石棺を出土した通岡とおりおか一号墳、長井の岩下ながいのいわした古墳群、前方後円墳または前方後方墳と考えられる木幡きばた古墳などがある。開発によって消滅した幸岡こうおかの古墳からは珠文鏡、長井の塩那丘陵の西端からは土製六鈴鏡、石関いしぜき遺跡の方形周溝の外堤からは供献用土器と考えられる土師器が出土している。住居跡には片岡の後岡うしろおか遺跡、十三塚じゆうさんづか遺跡がある。大槻の富士山下ふじさんした遺跡では国分期の竈が発見されている。「和名抄塩屋しおや郡六郷のうち、一説では山上やまかみ郷・片岡郷が市域内に比定されるが、異説も多い。木幡の木幡神社は延暦年間(七八二―八〇六)坂上田村麻呂が東征の折、同地で山城国許波多こはた神社(現京都府宇治市)に戦勝を祈願し、凱旋後に同社を勧請したと伝える。また寺山の観音寺は、神亀元年(七二四)高原山けんヶ峰の麓に建立したと伝える法楽ほうらく寺の後身といい、正治二年(一二〇〇)銘の胎内墨書のある行縁坐像を伝来する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「矢板市」の意味・わかりやすい解説

矢板〔市〕
やいた

栃木県北部,高原山の南東麓から喜連川丘陵にある市。 1955年矢板町と泉 (いずみ) ,片岡 (かたおか) の2村が合体し,58年市制。建久1 (1190) 年頃塩谷氏の築城により,南部の川崎反町 (かわさきそりまち) などが城下町であった。現在の中心市街地は国道4号線,東北本線の開通以後に形成された。電機,機械,家具などの工場が立地し,農村部ではおもに米作,養鶏などが行われる。高原山斜面に県民の森がある。木幡神社,観音寺,赤井家住宅 (いずれも重要文化財をもつ) など古刹,史跡が多い。市域の一部は日光国立公園に属する。東北自動車道が通り,インターチェンジがある。面積 170.46km2。人口 3万1165(2020)。

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