石井沢村(読み)いしいさわむら

日本歴史地名大系 「石井沢村」の解説

石井沢村
いしいさわむら

[現在地名]黒羽町黒羽向町くろばねむこうまち

南流する那珂川右岸にあり、どう川が西方を流れ那珂川に合流する。北は蜂巣はちす村、南は大豆田おおまめだ村、那珂川対岸は阿久津あくつ(黒羽田町)で、町場部分は黒羽向町となっている。村名は砂礫地で湧水地帯であったことによるとみられる。東山道は大豆田から当地を通り、寒井さぶいへと北上していたらしい。堂川は流れが急で、古くは水車群が多くみられた。天文一一年(一五四二)一二月二〇日、大関増次は大田原資清と合戦し、「川西村之内於石井沢」で戦死、同地に葬られたという(「大関家系図」黒羽町蔵)。「創垂可継」には石井沢古戦場の絵図が載せられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報