目次 自然観の変遷 自然という言葉は,もと中国に由来するものである。中国で自然という語が最初に現れてくるのは《老子》においてである。たとえば〈悠として其れ言を貴(わす)れ,功成り事遂げて,百姓(ひやくせい)皆我を自然と謂う〉(第17章),〈人は地に法(のつと)り,地は天に法り,天は道に法り,道は自然に法る〉(第25章)などである。自然とは元来,猛然とか欣然のようにある状態を表す言葉であり,存在を示す名詞ではない。それは自分を意味する〈自〉と状態を表す接尾辞 〈然〉からなり,〈自分である状態〉を示すものであった。ところで老子は〈自分であること〉とは人為を加えず,本来のままであることにほかならないとしたから,この自然は無為 と結びつき,〈無為自然〉という熟語もできてくる。自分が無為であることは,また物のあるがままを尊ぶことであるゆえ〈万物の自然を輔(たす)けて而も敢て為さず〉(第64章)ということにもなり,万物の〈自(おの)ずから然(しか)る〉ことを重んずることになる。いずれにせよ,自然とは自分に関しても万物に対しても,〈人為の加わらない,おのずからある状態〉を意味し,今日の自然が意味するように森羅万象 の対象的世界一般を指すものではなかった。そうしたものとしてはむしろ〈天地〉や〈万物〉という言葉が用いられた。こうした事情は〈天地の自然〉を説いた道家においても,また《論衡》で自然を論じた王充においても一貫して変わらない。
この言葉が日本に入ってきたときも,もとはこうした中国的な意味においてであった。空海の《十住心論》には〈経に自然(じねん)というは,いわく,一類の外道を計すらく,一切の法はみな自然にして有なり,これを造作するものなし〉(巻第一)とあるが,これはサンスクリット のsvabhāva(〈自ずからあるもの〉の意)の訳で,これを老荘の〈自然〉の意味にとったことは〈大唐にあるところの老荘の教えは天の自然の道に立つ。またこの計に同じ〉と言っていることからもわかる。《源氏物語 》の〈わざと,ならいまねばねども,少し才(かど)あらん人の,耳にも目にも,とまること自然(じねん)に多かるべし〉(帚木(ははきぎ))なども同じであり,自然とはこのように人為的でなく,おのずからそうあることを意味する形容詞 また副詞であった。こうした用法は後の親鸞の〈自然法爾(じねんほうに)〉や日本の朱子学において用いられる〈自然(しぜん)〉についても言える。安藤昌益 の《自然真営道》においても,自然(しぜん)は〈自(ひと)り然(な)す〉活真(生ける真実在)というように,実在の自発自主の運動を意味する形容詞として用いられ,まだ天地万物 を指す名詞になりきってはいない。
他方,日本に蘭学が受容されると,英語のネイチャー natureなどの訳語として〈自然〉という言葉があてられた。その嚆矢(こうし)をなすのは1796年(寛政8)に出版された稲村三伯 の最初の蘭日辞典《波留麻和解(ハルマわげ)》で,そこではオランダ語のナトゥールnatuurに〈自然〉という訳がはじめて用いられた。さらに1810年(文化7)の藤林普山 の《訳鍵》にはnatuurに対する訳語の筆頭に〈自然〉があてられ,natuurkundeに対しては,〈自然学〉の訳が与えられている。その後〈天地〉や〈万物〉に対して,この〈自然〉という言葉が直ちにとって代わるということはなかったが,しかし徐々に,今日の自然科学がとり扱うような外界の対象一般に対して〈自然〉という言葉が用いられるようになった。
ところでそもそも英語のnatureやオランダ語のnatuurのもとはといえば,それはラテン語のナトゥラ natura で,このナトゥラはギリシア 語のフュシス physisの訳である。フュシスは〈生まれる,生じるphyomai〉という動詞から派生した,おのずと生じたもの一般を意味し,人工の規則や慣習であるノモスnomosに対する。それは人為が加わらずに生じてきた森羅万象をひっくるめて統一的にさし示す言葉で,ソクラテス以前 の自然学者たちが,水や空気などの宇宙の構成要素を一般的に論じて《自然についてPeri physeōs》という論説をものしたときの〈自然〉がそれである。ナトゥラも〈生まれるnascor〉という言葉から出たもので,フュシスと同じく,おのずから生じた自然一般を指した。ルクレティウス の《自然についてDe rerum natura》はギリシアの上述の〈自然について〉という表題をラテン訳したもので,同じこの種の自然論であった(それゆえこれを《物の本性について》と訳すことは必ずしも適切でない)。したがって,こうした背景をもつnatureやnatuurという言葉を〈自然〉と訳したことは,両者がともに〈人為が加えられていない〉というただ一つの共通項をもつものの,もともとまったく異なった概念だったわけである。〈自然〉は本来生き方や在り方のある価値的状態を表明するものであって,〈ネイチャー〉のように〈生じたもの〉という意味もなければ,宇宙の森羅万象の全体をさし示すものでもなく,いわんや近代西欧のそれのように,精神や歴史に対立する外的対象一般を指すものではなかった。この二つの意味が重複してしまったところに,近代の日本人のもった自然概念にある種の混乱が生じた原因があるが,逆にそれがまた今日的意義をもつとも考えられるのである。
自然観の変遷 ともあれわれわれは現在用いている〈自然〉という言葉は,ギリシアのphysisにまでさかのぼるnatureなどの訳語であるとして,この自然概念,自然観の変遷を見てみよう。まずギリシアにおいては,そのフュシスの語源が示すように,おのずと生まれ,成長し,衰え,死ぬもの一般が自然であり,アリストテレスが定義したように〈みずから のうちに運動変化の原理をもつもの〉がそれであった。すなわち古代ギリシアでは死せる無機的自然ではなく,生命ある有機的自然が自然の原型であった。そこでは自然はなんら人間に対立するものではなく,そのような生命的自然の一部としてそれに包み込まれている。神ですら自然を超越するものでなく,それに内在的である。結局ギリシアにおいては,自然は人間や神をそのうちに包み込む生ける統一体であり,こうしたことは,中国(山水 )やインドの伝統的な自然観についてもほぼ同じようなことが言えよう。
ところが中世キリスト教世界に入ると,上述したような統一体は破れ,神-人間-自然という截然(せつぜん)たる階層的秩序が現れてくる。そこでは自然も人間も神により創造されたものであり,神はこれらのものからまったく超越している。人間もまた自然と同格のものではなく,むしろ自然の上にあってこれを支配し利用する権利を神からさずかったものとなる。こうした中世の自然観は,J.S.エリウゲナからシャルトル学派 を通じ,R.ベーコンにいたる系譜において,しだいにはっきりした形をとる。近代西欧の自然観も本質的にはこの中世キリスト教世界に含まれていた自然観を継承し,いっそう方法的に自覚発展させたと言える。すなわち自然を人間とは独立無縁な対立者としてこれを客観化し,この純粋な他者を,外からさまざまな操作を加えて量的に分析し,そこに〈法則〉を確立して,これを把握し利用しようとするのである。そこには自然から人間的要素としての色やにおいなどの〈第二性質〉や〈目的意識〉などが追放され,もっぱらこれを〈大きさ〉〈形〉〈運動〉などの自然自身の要素に分解して因果的,数学的に解析していく近代の機械論的自然観(機械論 )が成立することになる。これを徹底的に遂行したのがデカルトである。彼はこのシナリオを貫徹するために,物体から〈実体形相〉という生命原理を除去し,これを一様な幾何学的〈延長〉に還元し,逆に心や霊魂とよばれてきたものは〈純粋思惟〉として純化する。この徹底した二元論のもとで自然は単なる延長として,いっさいの心的,生命的なものを欠いた数学的対象となる。ここに古代ギリシアの有機的自然観は,近代の無機的自然観にとって代わられ,physisの訳語であったnaturaはnascor(生まれる)との連関をたち切り自然は生命のない一様な延長を細かく切り刻んだ数学的粒子のダンスとしてとらえられることになった。近代西欧の自然観のもう一つの特徴は,F.ベーコンによって唱導された〈自然支配〉の理念である。そこでは自然は未知なる第三者として〈実験〉によって解剖され,それによって得た知識にもとづいて支配され,現実に利用さるべきものであった。これが〈知は力なり〉と言ったときの彼の新しい実践的知識観であり,〈自然を支配する権利を神から与えられている〉とする征服的自然観であった。
このようにして17世紀に成立したデカルト=ベーコン的な近代の自然観は,18世紀の啓蒙思想を通じて,その背後にある神学的前提をとり去ることによって世俗化され,ますます無自覚的に強められてきている。それは一面ではたしかに自然認識の点で多くの成功を収め,人類の物質的条件を大いに改善し,今日の科学技術文明を出現させた。しかし他方においてほかならぬこの近代の自然観が,公害や自然破壊のようなマイナス面を生み出していることも否定できないであろう。今や自然観においてもわれわれは一つの転換期に立っていると言うべきであり,生態学 への関心やエコロジー運動の高まりはこのような動向の一つの現れと考えられる。新しい自然観は近代の機械論的要素主義を超えて,自然を一つの〈生けるシステム〉としてとらえ直すと同時に,人間による〈自然の支配〉ではなく,人間の〈自然との共生〉を可能にするようなものでなくてはならない。そうした〈生けるシステム〉としての自然は,まず要素の単なる機械的寄せ集めではなく,要素間の緊密な相互作用をもつ全体としてとらえられねばならない。ついでそれは環境の変化のなかで自律的に自己を保存するものであり,第3には自己保存のみならず適当な条件のもとでは新たな自己形成を行いうるものである。第4に人間はこうした自然システムの外にあるものではなく,まさにその一員として,周囲の自然システムと調和していかねばならない。こうした全体的,自律的かつ自己形成的な新しいシステム的自然観は,明らかに近代の機械論的自然観に対立するものであるが,しかしそれは奇しくも〈自ずから然る〉東洋の自然観とある点で連繫するものと言えよう。 執筆者:伊東 俊太郎