荒神尾城跡(読み)こうじんおじようあと

日本歴史地名大系 「荒神尾城跡」の解説

荒神尾城跡
こうじんおじようあと

[現在地名]四賀村錦部 七嵐

七嵐ななあらし城ともいい、山城苅谷原の鷹巣根かりやはらのたかすね城と苅谷原宿を挟んで相対している。室町末期、松本の小笠原氏の家臣太田氏の城で、天文二二年(一五五三)四月二日武田氏が進攻の際、落城した。城の峰からは多くの小砦を配しており、十数の段郭があり、主郭部には石垣・土塁の跡が今も残っている。

享保九年(一七二四)の「信府統記」には「七嵐山光神尾古城地」として「本城東西九間、南北三間五尺、高サ三尺五、六寸程ノ石垣三方ニアリ、用水本城ヨリ二町十五間ニアリ、峰ヨリ三方岩山ニテ大崖ナリ、本城ノ辰巳ニ当リ見場ノ城ト云アリ、下ニ見ユ、此所モ苅谷原領ナリ、苅屋原五郎ハ此城ニ居レリト云フ」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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