蓮花寺村(読み)れんげじむら

日本歴史地名大系 「蓮花寺村」の解説

蓮花寺村
れんげじむら

[現在地名]三島町蓮花寺

現町域中央西寄りの山間地にある。南東は標高一八〇メートルほど、西は現出雲崎いずもざき町境にある標高三四五メートルの小木おぎ城跡を中心とする丘陵が南北に延び、その谷間を蛇行して北流する小木城おぎじよう川が中央を貫流する。南東は上岩井かみいわい村、北は中永ちゆうえい村。口碑によると村名はもといたさわ村と称したが、かつて当地にあった蓮華部れんげぶ寺が佐渡へ移転したことにより、これを慕って改めたという。また中世に小木城主の崇敬を受けたといわれる七社しちしや宮の境内の塚からは、平安後期と推定される青銅円形古鏡四面・剣・甕などが出土した。

蓮花寺村
れんげじむら

[現在地名]婦中町蓮花寺

山田やまだ川が呉羽山くれはやま丘陵から平野部に流れ出す地点の左岸に位置し、北東は長沢ながさわ村、南対岸は富崎とみさき村。村名の由来はかつてこの地に臨済宗蓮華れんげ寺があったことによる(婦負郡寺院明細帳)正保郷帳では高八三石余、田方三町一反余・畑方二町四反余。享保六年(一七二一)の高一一一石余(「村付高改帳」島倉家文書)。寛政二年(一七九〇)の古高九八石余・定免五ツ六厘、新田高一八石余・平均免八歩六厘余、銀納畑一九六歩・代銀二匁一分五厘余があり、ほかに長沢村へ山川役七匁五分二厘を納めている(高物成品々手鏡)

蓮花寺村
れんげじむら

[現在地名]日野町蓮花寺

中在寺なかざいじ村の北東にあり、南部を佐久良さくら川が流れる。西端川には出郷が成立。小字の十之坪とのつぼ十三じゆうさん・はたちは古代条里の遺称とされ、白鳳時代の平瓦や須恵器を焼いた丸田溜まるただめ遺跡・壺焼谷つぼやきだに遺跡などがある。地名はかつて当地に蓮花教釈寺という寺院があったことに由来すると伝えるが、同寺跡などは不詳。しかし地内の浄土真宗本願寺派信楽しんぎよう寺には慶長一四年(一六〇九)写の比叡山別院八葉山蓮華教釈寺之図が残る。

蓮花寺村
れんげじむら

[現在地名]高岡市蓮花寺

庄川と高岡町の中間、枇杷首びわくび(現大門町)の西方、出来田できでん村の北方に位置。村名は真言宗蓮花れんげ寺による(越中志徴)。正保郷帳では高三八三石余、田方二〇町八反余・畑方四町七反。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の草高五二三石・免四ツ(三箇国高物成帳)。享保六年(一七二一)九五石が検地引高となった(「高免等書上帳」折橋家文書)。灌漑は井口八いぐちはつヶ用水と三女子さんよし村・蓮花寺村・枇杷首村出合用水を利用した(「郡事摘要」折橋家文書)。寛文三年の役家高は六、うち無役村肝煎家一(「川西家高付帳」川合家文書)。寛保二年(一七四二)の百姓数一六・頭振二三(高免等書上帳)、天保四年(一八三三)には合せて二九軒となった(「家数調理帳」折橋家文書)

蓮花寺村
れんげいじむら

[現在地名]桑名市蓮花寺・まつ大山田おおやまだ筒尾つつお

現桑名市の西部にあり、増田ますだ村の東北に位置する。西・北・東の三方は丘陵地となり、南は平地で、濃州(員弁)街道が東西に通る。「桑名志」に「蓮花寺ト云寺アリシ故、村名トス」とある。曹洞宗の巨刹蓮花寺廃寺跡があり、鎌倉時代には無住禅師(大円国師)が晩年に住みつき、当寺で没したといわれる(桑名市史)。寺はのちに尾張蜂須賀はちすか(現愛知県美和町)へ移ったが、その年代は不詳。中世の蓮花寺東れんげいじひがし城跡・同西城跡がある。東城には後藤庄左衛門が居城したが、天正元年(一五七三)織田信長勢に滅ぼされた。

蓮花寺村
れんげじむら

[現在地名]富山市上飯野かみいいの上飯野新町かみいいのしんまち

神通川と常願寺川に挟まれた平地中間にある。集落南部を新庄新しんじようしん町と西水橋にしみずはし町を結ぶ北陸街道(巡見使道)、東側を同道から分岐して加賀藩主往還路(北陸街道)日方江ひかたえ村に通ずる道が通る。南は上飯野村蓮華寺村とも記す。明暦二年(一六五六)の村御印留では草高一四一石、免四ツ八歩。寛文一〇年(一六七〇)の村御印でも草高・免に変更はないが(三箇国高物成帳)、のち数回の手上高があり、天保一一年(一八四〇)の打銀高一五六石、免四ツ八歩(「高免帳」杉木家文書)

蓮花寺村
れんげじむら

[現在地名]津幡町蓮花寺

きた村の東、笠野かさの川右岸で、笠野盆地中央に南面する。地名は蓮華寺という寺があったことに由来するという(「村名由来」加越能文庫)宝生ほうじよう(現名古屋市中区)の経蔵図書目録によれば、「秘鍵開蔵鈔」の奥書に「宝徳四年六月十七日於加州笠野蓮花寺十二間客殿」で宥尊が書写したとみえる。同寺の遺跡は未詳だが、明治四〇年(一九〇七)地内の畑から青銅仏具五点を出土している(河北郡誌)。正保郷帳では高一〇七石余、田方四町三反余・畑方二町八反余。

蓮花寺村
れんげじむら

[現在地名]野々市町蓮花寺町

手取川扇状地扇央東部平野に位置し、東は田尻たのしり村。村の南西部をごう用水の分流横江よこえ川が北流する。蓮華寺とも記す。仮名付帳には蓮花寺新田と記され、安養寺あんようじ(現鶴来町)枝郷とある。「加賀志徴」には蓮華寺村とみえ、かつて蓮華寺が存在したことが村名由来とされる。正保郷帳では蓮花寺村・柳町やなぎまち村の高五〇二石余、田方二七町余・畑方六町四反余。

蓮花寺村
れんげじむら

[現在地名]作東町蓮花寺

土居どい村の北東に位置。「東作誌」によれば年代未詳であるが同村より分村したとあり、村内に蓮花寺がある。永正一二年(一五一五)一二月日の真如堂領目録(真正極楽寺文書)に同寺名がみえる。正保郷帳に村名がみえ、田一一九石余・畑一一三石余。元禄一〇年(一六九七)美作国郡村高辻帳では改出高四一石余・開高二石余、村位は下。

蓮花寺村
れんげじむら

[現在地名]松阪市蓮花寺町

櫛田くしだ川右岸、牛草うしくさ村の東にあり、北は神守かんもり村、東は大垣内おおがいと村に接する。天文一五年(一五四六)書写の神服部内戸納帳(「神服大神部・神部家文書」神宮文庫蔵)に「蓮花寺若大夫」の名がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報