(読み)マメ(英語表記)legume
bean
pea

デジタル大辞泉 「豆」の意味・読み・例文・類語

まめ【豆/×荳/×菽】

[名]
マメ科植物の種子。特にそのうち、食用にするものの総称。大豆だいず小豆あずきササゲエンドウソラマメインゲンマメラッカセイなど。マメ科の双子葉植物は約1万9500種が寒帯から熱帯まで広く分布し、草本または木本。葉は複葉で、花は蝶形花が多い。果実は豆果で、さやの中に種子がある。種子は胚乳が発達せず、子葉が発達して大部分を占め、でんぷんや脂肪を蓄える。
特に、大豆。「―かす」「―細工」
女性の陰部。特に陰核をいう。
料理に使う、豚・牛などの腎臓。
[接頭]名詞に付く。
形や規模などが小さい意を表す。「―電球」「―台風」
子供である意を表す。「―記者」
[下接語]青豆あぜり豆隠元豆うぐいすうずら打ち豆枝豆阿多福おたふくかきカラバル豆金時豆黒豆源氏豆コーヒー豆五目豆砂糖豆さや三度豆塩豆白豆底豆空豆たぬきたん切り豆血豆つる年の豆なた夏豆南京ナンキン煮豆羽団扇はうちわ弾け豆八升豆ひよこ富貴ふき福豆ふじ味噌みそみつ
[類語]大豆小豆ささげそら豆落花生レンズ豆ひよこ豆隠元豆莢隠元豌豆莢豌豆グリンピース黒豆鉈豆

とう【豆】[漢字項目]

[音]トウ(漢) (ヅ)(呉) [訓]まめ
学習漢字]3年
〈トウ〉
五穀の一。ダイズ。広く、まめ。「豆乳豆腐豌豆えんどう納豆なっとう
昔の食器の一。たかつき。「俎豆そとう
〈ズ〉
まめ。「大豆巴豆はず
伊豆いず国。「豆州
〈まめ〉「豆粒枝豆黒豆血豆煮豆南京豆ナンキンまめ
[難読]小豆あずき豆汁豆油豇豆ささげ大角豆ささげ

ず【豆/頭】[漢字項目]

〈豆〉⇒とう
〈頭〉⇒とう

とう【豆】

中国古来の高坏たかつき状の皿・鉢。食器、また祭器ともされ、陶製・青銅製・木製などでふたがつくものとつかないものとがある。

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精選版 日本国語大辞典 「豆」の意味・読み・例文・類語

まめ【豆・荳・菽】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙
    1. マメ科の植物、またはその種子。
      1. [初出の実例]「道の辺の荊(うまら)の末に這ほ麻米(マメ)のからまる君を別(はか)れか行かむ」(出典:万葉集(8C後)二〇・四三五二)
    2. マメ科の植物のうち、果実や種子などを食用にするものの総称。大豆、小豆、空豆、豌豆など。
      1. [初出の実例]「まめ一もり、やをらとりて、小障子のうしろにて食ひければ」(出典:枕草子(10C終)一〇八)
    3. 特に、大豆をいう。
      1. [初出の実例]「腹の中に稲生れり。陰(ほと)に麦及び大豆(マメ)・小豆(あつき)生れり」(出典:日本書紀(720)神代上(兼方本訓))
    4. 女陰。また、陰核。転じて、女をいう。
      1. [初出の実例]「太鼓打てば大豆(マメ)買気になり」(出典:浮世草子・傾城色三味線(1701)江戸)
    5. まめどん(豆殿)」の略。
      1. [初出の実例]「豆(マメ)でも座敷へ寄越せばいいに」(出典:歌舞伎・日月星享和政談(延命院)(1878)六幕)
    6. まめぞう(豆蔵)」の略。
      1. [初出の実例]「いろんなことを云なはるねヱ、きついお豆だ」(出典:洒落本・辰巳婦言(1798)四つ明の部)
    7. 肉料理で、牛・豚などの腎臓(じんぞう)をいう。
  2. [ 2 ] 〘 造語要素 〙 名詞の上に付いて、それが小さいことや子どもであることをあらわす。「豆電球」「豆台風」など。〔大増補改訂や、此は便利だ(1936)〕

とう【豆】

  1. 豆〈故宮博物院〉
    豆〈故宮博物院〉
  2. 〘 名詞 〙 中国古銅器の一つ。食事を盛る器で脚の付いた高坏(たかつき)形のもの。また、木、竹、土、玉で造られた、これと同形の器もいう。
    1. [初出の実例]「釈奠十一座〈略〉豆十、韮、醯醢、菁、鹿醢、芹醢、笋、魚醢、脾折、豚」(出典:延喜式(927)二〇)
    2. [その他の文献]〔詩経‐大雅・生民〕

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改訂新版 世界大百科事典 「豆」の意味・わかりやすい解説

豆 (まめ)
legume
bean
pea

広く食用にされているマメ科植物の種子,あるいは若い果実の総称。また,転じて,コーヒー豆のように小さくて丸いものを豆と呼ぶことがある。

マメ科の植物は,熱帯から寒帯まで,湿潤気候域から乾燥気候域まで広い範囲にわたって生育し,その生活型も70mをこえる高木から,低木,多年草や一年草,あるいはつる植物とさまざまである。しかし,そのような多様さにもかかわらず,マメ科植物の果実は1枚の心皮からなり,側膜胎座を有し,例外的なものを除くと乾果で,いわゆる豆果と呼ばれる独得の形をしている。この果実の形態から,マメ科はギリシア時代からまとまった植物群として認識されていた。また,種子はモダマやソラマメでも知られるように,被子植物の中では大きなものである。多数の小さな種子(多産多死)を生産する方向に進化したといわれる雑草のなかで比較しても,雑草性マメ科植物の種子は他の大部分の雑草よりも大型である。この種子が大型であるというマメ科の特性が,種子を食用にする人間にとって便利であっただろう。種子はまた,胚乳が退化し,かわりに発達した子葉に養分を貯蔵する。豆のこの養分は,人間が多く食用とするデンプンだけでなく,ダイズやラッカセイのように油脂やタンパク質を多く含む場合がある(表)。

 マメ科植物の種子には,しばしば硬い種皮があるか,養分を貯蔵している子葉が硬質だったりし,また貯蔵物質の特性とも相まって,人間が,そのまま食べるには消化吸収のしにくいものになっている。そのため,もやし,豆腐,豆乳,納豆,みそなどの豆類の特殊な調理利用法が発達した。また種子だけでなく,若い未熟な豆のさやを野菜として利用したり,成熟したさやに含有される糖や有機酸を食用にするような利用法も発達した。エンドウやササゲ類のように栽培豆類として発達したものには,種子利用の品種と野菜的利用の品種との分化が著しい。このように多面的に利用されているのも,豆類の特徴とされよう。

マメ科植物がいろいろな気候域に適応し,多様な生活形に分化した多数の種からなっていることに対応して,食用にする豆類にもいろいろなものがある。現在,マメ科植物で果実や種子が食用となるものは500種以上もの多数にのぼり,そのうちで栽培されている重要なものには次のようなものがある。

(1)熱帯の木本性豆類 熱帯域には多数の木本性マメ科植物が分化していて,果実や種子を食用とする種もまた多い。パーキア類(Parkia roxburgiiなど)は樹高30~40mにもなる高木が多いが,この長さ50cmに達する若い豆果はマレーシア地域で野菜とされる。中央アメリカ原産のキンキジュPithecellobium dulceは熱帯域に広く栽植されるが,その直径3~4cmもある円盤状の若い種子が食用とされるし,また成熟した果実も糖を含み食べられる。どちらもマレーからインドネシアにかけての村や,その近くに栽植され,利用されている。アフリカのサバンナ林域にはアカシアAcaciaをはじめ多数のマメ科樹木が,分化しているが,それらのなかで食用とされるものがいくつかある。このサバンナ系のマメ科樹木で,インドや東南アジアに広く栽培されるものにタマリンドがあり,しばしば街路樹や公園樹とされるが,インドでは重要な食用樹でもある。成熟した豆果のさやは,クエン酸や糖を含み,飲料やカレー料理に利用される。いずれも日本にはなじみのない豆類である。

(2)熱帯・亜熱帯起源の草本性豆類 熱帯系の栽培豆類は,乾燥地域原産のものが多い。南アメリカ原産のインゲンマメはアフリカやインドでも主食的に利用される重要な豆類であるし,ボリビア原産のラッカセイは,その高い脂肪含有量のため広く食用にされ,どちらも世界の各地で栽培されている。その他にも〈もやし〉に多用されるインド原産のリョクトウ,若い豆果が野菜とされるアフリカ原産のササゲ類(ササゲ,ヤッコササゲ,ジュウロクササゲなど)や,熱帯アジア原産のナタマメやシカクマメPsophocarpus tetragonolobus(英名fourangled bean),それに加えて中央アメリカや南アメリカ原産のライマメPhaseolus lunatus(英名lima bean),ベニバナインゲン,インド原産のヒヨコマメフジマメ,アフリカ原産のキマメなど,多数の種が栽植され,利用されている。これら熱帯系の豆類のうちのいくつかは,温帯圏での夏作作物となっており,日本でも栽培されている。また,アフリカやインドでは,地方的に重要な豆類が他にも栽培されている。

(3)温帯系の豆類 温帯系の豆類にも重要なものがある。地中海域原産の二年生作物であるエンドウソラマメは,どちらも冬作作物であるし,東アジア原産のダイズアズキは夏作作物として栽培される。栽培の歴史の古いエンドウは種子を食用とする以外に,キヌサヤ系の野菜利用品種群が分化している。また観賞用の地中海域原産のルピナス(ルーピン)類にも豆が食用とされるものがある。

豆類の種子が生食されることは,ほとんどない。それは豆の多くは,青くさい臭気があって,生食に適さないし,成熟した豆は硬くて調理しないと食べにくいことによるのであろう。またレンズマメやルピナス類のように青酸配糖体を含有していて,毒抜き処理をしないと有毒なものもある。

 もっとも普通な豆の調理法は煮るか焼く(炒(い)る)という加熱法である。硬い豆をやわらかくするためには,煮る前に水につけてふやかし,そのうえで調理したり,砕いて小粒にしたうえで煮る,あるいは煮たものをさらに砕くというようなこと,また,発酵的な操作を経たうえで煮ることなどが通常は行われる。各種の豆を多用するインドのカレー料理には,このような豆を煮る調理体系が発達している。日本で和菓子に使用される〈あん〉は,煮た豆をさらにつき砕くという高度な調理加工を行って食用にする例といえよう。

 〈炒る〉ことは,もともと硬い豆をさらに硬くするために,油脂含有率の高いラッカセイやダイズ以外では,あまり見られない。両種でも,炒ったものをさらに粉砕して食べやすくしている。ピーナッツバターや〈きな粉〉がそうである。

 こういった調理法をさらに進め,液体状にして飲料にすることもある。タマリンドの熟果の利用は,その単純な例であるが,ダイズを豆乳として利用するのは,その代表例である。豆乳と同じ方法ですりつぶしたダイズの搾り汁ににがりを加え,タンパク質を塩析して固め食用にするのが中国で始められた豆腐で,この豆腐からはさらに油あげ,高野豆腐などの二次製品が作られる。このように高度に豆が加工されると,もとの豆のおもかげは残っていない。

 消化吸収しやすい形に豆を調理加工する特徴的な方法としては,他に〈もやし〉と,みそ,納豆,しょうゆなどの微生物による発酵を利用したものとがある。もやしは,種子の吸水による組織の膨潤と貯蔵養分の発芽過程における自己消化作用が利用されるし,納豆は,納豆菌による発酵的な消化作用が利用される。

 食品としての豆類は未熟な状態でも利用される。野菜としてのササゲ類,キヌサヤエンドウ,シカクマメ,ナタマメはもちろん,グリーンピース(エンドウ)や枝豆(ダイズ),於多福(おたふく)(ソラマメ)などは,種子が完熟して硬くなる前に食用に供される。

豆類は,植物性食品としては著しく高いタンパク質含有量を示し,ダイズやラッカセイのように高い脂肪含有量を示すものもあるので,穀類やいも類と異なり,豆を多食する食事の栄養バランスは良い。このような食品特性をもつ豆類の栽培は,デンプン(炭水化物)を主成分とする穀類の栽培との組合せの下で始まった。ムギ類とエンドウやソラマメ,トウモロコシとインゲンマメやライマメ,モロコシとササゲ類,イネとリョクトウやアズキなどはその代表的な例であろうし,栽培の起源が明確にされていないダイズも,中国東北部でのアワやモロコシ栽培と組み合わされたものである可能性が高い。穀物栽培との結びつきは,栄養的なバランスの問題だけでなく,豆類の調理システムには,加熱するための容器の存在が不可欠であり,そのような技術段階に達するには,穀物栽培の開始が関係していることが知られている。それ以前には,豆類は人類にとって利用の困難な食料源であっただろう。
執筆者:

豆類は稲,麦,粟(あわ),稗(ひえ)などとともに古くから基本的な作物とされ,記紀の穀物起源神話にも登場し,《和名抄》には烏豆(くろまめ),野豆(のらまめ),藊豆(あじまめ)など多数の豆類が記されている。豆は食糧や調味料の原料となり,栽培や収穫調整に比較的手間がかからず保存もきくうえ,地力維持にも役立つことから金肥や化学肥料が使われる前は重要な畑作物とされ,田にあぜ豆として作られることもあった。ことに大豆は直接煮て食べるほか,みそ,しょうゆ,豆腐,納豆,きな粉等の調味料や加工食品とされ,日本人の重要なタンパク源であった。豆はその穀霊の呪力で魔よけをしたり,また撫物として穢(けがれ)や病気を払うのによく用いられる。また豆はマメ(健康)に通じるところから,正月の縁起物にもされ,節分の豆で天気占いをしたり,同齢者の死に際しては耳ふさぎとして使うこともある。5月1日を豆炒り朔日,9月の十三夜を豆名月といい,12月9日の大黒様の年取りには多数の豆料理を作って供える風がある。他方,小豆(あずき)は色が赤いため,赤飯,小豆粥,ぼた餅などハレの日の食品に用いられるほか,疱瘡よけや魔よけにも使われる。十日夜には,子どもたちがわら鉄砲で地面を打ちながら,〈十日夜(とおかんや),十日夜のわら鉄砲,大豆も小豆もよく実れ〉と唱え,大豆や小豆の予祝をする風習もかつては各地でみられた。
執筆者:

香りの強い花を咲かせる他の植物と同様に豆は,古代から死者や亡霊と結びつけられた。ピタゴラスは豆に祖先の霊が宿っていると信じ,けっして食べようとしなかったといわれ,魔術を用いたかどで命をねらわれたときにも豆畑を横断して逃げることをためらったため,捕らえられて死んだとも伝えられる。またギリシアでは,犠牲の獣を選ぶのに黒い豆を引く籤(くじ)を用い,また役人選挙においても賛成者は白,反対者は黒い豆を投じたという。他方,古代ローマではこれを背中越しに投げれば亡霊からのがれうると信じられ,のちには魔女よけにもなった。ただし魔女のほうきは豆の木の小枝を束ねて作るという伝承も一方にはある。中世以降も豆の魔力に関する俗信は多く,豆畑で眠れば悪夢にさいなまれ,開花期には事故が多発するとして特に炭鉱夫に嫌われたという。

 イギリスでは十二夜Twelfth nightの余興に〈豆の王祭Bean-king's Festival〉が行われた。インゲンマメとエンドウマメを1粒ずつ入れたケーキを切って配り,インゲンが当たった人は王,エンドウなら女王として宴会の主役になる遊びで,シェークスピアの《十二夜》にも描かれている。また〈ジャックと豆の木〉の話においては,豆の木は生命の樹ないし天国への階梯を象徴すると考えられる。俗に,ぬかりがないことをknow how many beans make five(〈豆がいくつで5粒になるかを知っている〉の意)というのは,〈豆がいくつで5粒になるか〉-〈答えは5粒〉といった問答遊びに由来する。花言葉はピタゴラスの故事から〈不死と輪廻〉,また〈魔術と神秘〉など。
執筆者:

双子葉植物,約650属1万8000種を含み,種子植物の中でキク科,ラン科に次ぐ大きな科で,バラ科に類縁がある。

 直立性またはつる性の木本や草本で,多くの種類に根粒があるマメ科植物は根粒中の根粒菌が固定する空中窒素を養分として生育する。葉は互生し,基本的に複葉で,托葉がある。葉柄,小葉柄,小葉の基部に葉枕(ようちん)があり,光や温度の変化,機械的刺激を受けると葉を運動させる。花序は基本的には総状花序で,それが変形した円錐花序や頭状花序もある。花はふつう両性花。萼片は5枚,基部で合着して萼筒をつくる。花弁は5枚で,離生する。おしべは基本的には10本,めしべは1個で1枚の心皮からつくられている。子房は上位,1室で多くは2個以上の胚珠を入れる。果実は豆果とよばれ,果皮とそれに包まれた種子よりなる。豆果が熟すと果皮は2片に裂開することが多いが,まったく裂開しないものもあり,その中には1個の種子を含む部分ごとに折れて分離するものがある。種子は外側に2枚の種皮があり,内側に胚がある。胚は大部分が養分を蓄えた2枚の子葉からなり,多くは胚乳を欠く。

マメ科は種子植物のなかで最も多くかつ多様な有用植物を含んでいる。そのうち食用となる重要な豆類については前述したが,このほかに肥大した根を食用とするクズクズイモも含まれる。ここでは食用以外の利用について述べる。豆類を産出するマメ科植物は窒素固定を行う根粒菌の共生による根粒を有している。そのため土壌中の窒素分が少ないやせた土地でもよく生育するものも多く,シロクローバーシロツメクサ),アカクローバーアカツメクサ),ウマゴヤシなど草本性の種では,牧草として広く利用されるものが多い。マメ科の牧草は土地を肥沃にするだけでなく,タンパク質やアミノ酸の含有量も高いため良好な家畜飼料になる。また,生育したマメ科植物を土壌中にすきこんだり(緑肥),堆肥を作ることも広く行われ,日本のレンゲソウはその典型的な例である。

 マメ科植物は種々の配糖体を有していたり,窒素を含有する化合物であるアミン類を含有するものが多く,これらは特有の生理活性を示し,薬用植物にされるものも多い。薬用植物の多くがアルカロイド類の作用を利用しているのに対して,マメ科植物は特異な生理活性作用を有している化合物を利用している点が特徴的で注目される。薬の原料あるいは生薬(しようやく)として用いられるほかに,民間薬としても広く利用され,おもなものにカンゾウ,ハブソウ,エビスグサセンナ,アラビアゴムノキ,サイカチエンジュなどがある。デリスは農業用殺虫剤として熱帯地方で広く用いられ,魚をとることにも用いる。また染用としてロッグウッド,キアイ(インジゴ),ナンバンコマツナギなどが利用された。熱帯の木本マメ科植物では,木材としての利用も広くみられる。シタンスオウタガヤサンは硬くて美しい材質の優秀な有用材である。街路樹は熱帯地方ではホウオウボク,タマリンド,ソウシジュなど数多くの高木が用いられており,日本ではエンジュ,イヌエンジュニセアカシアデイコ類が植えられている。ハギ類やクズは道路,堤防などの土止め,ニセアカシアやイタチハギは砂防用に用いられている。観賞用とされる種類は多いが,日本ではハギ類,フジニワフジスイートピーエニシダハナズオウ,ルピナスなどが代表的なものである。トウアズキの種子はビーズとして装身具に用いられる。特殊なものではムユウジュ(無憂樹)は仏教の聖木とされる。クズやフジのつるのように繊維として利用される例もある。このほかにもマメ科の多くの種が世界各地で広く利用されている。
執筆者:

豆類は,ヨーロッパにおいてもアジアにおいても,早くから穀物の一部として作られ,人間の食糧や家畜の飼料に供された。もちろん,人間の食糧としては米や麦に比べて,つねに副次的な地位にとどまったが,家畜の飼料としてはきわめて重要な地位を占めている。

 豆類の牧草にはクローバー類とアルファルファ(ルーサン)類とがあり,前者は中性あるいは微酸性,後者はアルカリ性の土壌に適している。したがって,後者は西南アジアや地中海地方のような乾燥地帯に,前者は北ヨーロッパや東アジアのような湿潤地帯に広く分布している。

アルファルファは,西南アジア原産とされている。歴史的に有名なエピソードは,前2世紀,前漢の武帝のとき,中央アジアに住む匈奴(きようど)を東西から挟み撃ちにするため,月氏国へ派遣された張騫(ちようけん)が月氏国からもちかえったものの中に,アルファルファがあったことである。アルファルファは中国名で苜蓿(もくしゆく)といわれ,西南アジアと同じく乾燥地帯である中国北部に,その後長く栽培された。もちろん,家畜とくに馬の飼料としてであるが,ときに人間の食糧にもなった。この苜蓿は,いつのころか日本に伝わり,不思議なことに,日本でも最も湿潤な山陰地方で明治時代まで栽培されていた。

北ヨーロッパ農業に最も大きな影響を与えたのはクローバーとくにアカクローバーである。日本農業の主要な肥料が最近まで人間の糞尿であったように,ヨーロッパの農業の主要な肥料は最近まで家畜の糞尿であった。したがって農業生産力を高めるためには,厩肥(きゆうひ)の増産→家畜頭数の増加→飼料の増産が必要であった。北ヨーロッパでは,初めはもっぱら野草を飼料としていたが,やがて耕地でアカクローバーを栽培するようになった。それは,すでに14世紀に北イタリアやフランドル(今日のベルギーの沿海地方)で開始された。この両地方は,ともにルネサンスの中心で,東西の交易と毛織物工業によって大都市が発達し,当時のヨーロッパで人口の最も稠密(ちゆうみつ)な地方であった。次いで,ドイツ最古の農書であるヘレスバハConrad Heresbach の書《Rei rusticae libri quattuor》(1570)は,ケルン近郊で,耕地にクローバーが栽培され,家畜の飼料とされていることを記述している。この本は7年後,ゴージュBarnabe Googeにより英訳され,イギリスで刊行された(1577)。イギリスには,元来,すぐれたマメ科牧草はなかった。この本によって,実物よりも先に,まず知識としてクローバーが紹介されたのである。初めて実物が入ったのは,関税の帳簿によれば1620年であるが,実際には,もう少し早く入ったものと思われる。そして約1世紀後の18世紀初めには,各地の物価表にクローバーの種子が記載されているところからみて,ほぼこのころに一般に普及しおわったと考えられる。

 当時の栽培方法は,次のようであった。春,大麦とともに混播され,夏に大麦が刈り取られると,あとクローバー畑となる。そして,そのまま翌年まで続けられる。クローバーの数量は2年目が最大である。当時は,一般に3年に1度,耕地は休閑されたのであるが(三圃制),この場合は休閑地がクローバー畑となるので,本来の休閑地(黒い休閑地)に対して,〈緑の休閑地〉といわれた。また,牧草は,それまでもっぱら野草が用いられていたから,耕地で栽培されるクローバーは〈栽培牧草artificial grass〉,またクローバー畑は〈栽培牧草地artificial grass-land〉とよばれた。フランスの造船技師モンソーDuhamel de Monceauは,18世紀前半,当時,造船では世界一であったイギリスに,造船技術を習うために留学したが,やがて彼の興味は,造船よりも栽培牧草に移り,結局,その研究に打ち込んで,帰国後,はじめてフランスに栽培牧草を伝えた。こうして,フランスでは,18世紀の中ごろから栽培牧草地prairie artificielが広まることになった。ドイツではシューバルトJohan Christian Schubartの力が大きい。1734年,ザクセンの織布業の子どもに生まれ,イギリスの旅行で栽培牧草を知った。ザクセンの荘園を購入し,そこで栽培牧草の実験を行って成功し,その執筆した多くの論文や書簡とともに,ドイツ語圏における栽培牧草の普及に貢献した。その功績によって,18世紀の末,神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世から〈神聖ローマ帝国クローバー畑の騎士〉という称号を与えられた。

 一方,東アジアや東南アジアにおいては,家畜が農業においてヨーロッパほど重要性をもたないことと,湿潤な気候とによって,ヨーロッパにおけるほど,栽培牧草は重要視されなかった。
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豆 (とう)
dòu

中国の新石器時代の竜山文化期から,漢代以後まで長く使用された盛食器。日本の高杯(たかつき)にあたる。陶製の豆は竜山文化期から広くみられ,殷代には白陶,西周時代には釉陶のものがあり,後世まで日常の器物として使用された。木製の豆は梪(とう)といわれ,戦国時代以後のものが知られる。《爾雅》によれば,竹製の豆は籩(へん),瓦製は登というとある。青銅製の豆は西周時代後期になって現れる。とくに春秋時代後期から戦国時代にかけて盛んにつくられ,有蓋の豆もある。文様には鱗文,雲文,渦文などがみられ,一部には透し彫をしたり,金象嵌をしたものもある。形は平たい器身と太い脚をしているが,しだいに器身は半球形になり,脚もらっぱ状で短いものや,耳がついたものがみられるようになる。その用途は多様で,祭祀などに各種の醢(かい)(肉類の塩辛),これに加える刻み野菜,かゆの類や肉だんごの類,醴(れい)(甘酒)やスープを入れたことが,《周礼》《儀礼》《礼記》などにみられる。
青銅器
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「豆」の意味・わかりやすい解説


まめ

古くはダイズ(大豆)をさしたが、現在では食用とされるマメ科(APG分類:マメ科)植物の種子を総称することが多い。ときには食用以外のものも含んだマメ科の種子、あるいはマメ科植物全般をさすこともある。マメ科の種子では胚乳(はいにゅう)はほとんど発達しないが、そのかわり2枚の子葉が種子の大部分を占めるほどに発達し、デンプンや脂肪などを蓄える。発芽の際、この子葉は地上に出て展開するのが普通だが、種によっては子葉の下の胚軸が伸長しないため、地下に残る。未熟な莢(さや)の中で、種子の珠柄についていた部分を「へそ(臍)」とよぶ。完熟した種子には珠柄組織の一部が残ることが多く、へそ全体を覆ったり、しばしば、へそを取り巻いてさまざまな形をなし、いわゆる仮種皮となる。へその形態は種ごとに異なるが、一つの種のなかではきわめて安定しており、種の区別には有効である。マメ科の種子は、種皮が硬く、吸水しにくい、いわゆる硬実(こうじつ)である。

[立石庸一 2019年11月20日]

有用種

マメ科は植物のなかでもっとも有用で、食料に限っても、生産量はイネ科に次ぎ、ヨーロッパを除く世界各地で独自に野生種から作物にされた。代表的な食用豆と原産地を列挙すると、中国ではダイズ、アズキ、インドを中心とする熱帯アジアではケツルアズキ、リョクトウ、ツルアズキ、モスビーン、ホースグラム、フジマメ、ハッショウマメ、キマメ、メソポタミアを中心とする西アジアではヒヨコマメ、レンズマメ、エンドウ、ソラマメ、アフリカではササゲやバンバラビーン、メキシコと西インド諸島ではインゲンマメ、ベニバナインゲン、タチナタマメ、アンデスではライマメやラッカセイなどである。

 また、野菜、飼料、緑肥、グランドカバー、風致樹、用材、樹脂、油、染料、香料、薬用、装飾品、観賞用とその利用は多方面にわたり、重要な経済植物も少なくない。また、利用される部位も、花、莢、種子、種衣(しゅい)、材、樹液、地下茎、根、葉とさまざまである。さらに、分類的には草本だけでなく、樹木も食料や工業用に利用される。それらの代表種にはアフリカやインド、熱帯アジアのパルキア属Parkiaや中近東から地中海沿岸のイナゴマメがある。

 野菜には若莢を食べるエンドウ、インゲン、ジュウロクササゲのほか、インドではクラスタビーンやホースグラム、熱帯ではシカクマメが利用されている。エンドウは若い茎葉(豆苗(とうみょう))も食べられ、東南アジアには独自の葉茎菜にミズオジギソウや花を食べるシロゴチョウがあり、クズイモやホドイモは塊根が食用になる。もやしはケツルアズキ(ブラックビーン)がもっとも多いが、リョクトウ、ダイズ、アルファルファ(ウマゴヤシ)などもある。緑肥にはレンゲや熱帯のクズモドキ、サンヘンプなど、飼料にはクローバーやアルファルファが代表的。高級材としてシタン、ローズウッド、タガヤサン、アメリカネム、ペルーバルサム、アフリカンマホガニーなどがある。アカシア属からはアラビアゴム、ゲンゲ属からはトラガカントゴム、メロキシロン属からはトルーバルサム、トラキロビウム属からはザンジバルコーパルなどの樹脂がとれる。南アメリカのコパイフェラ属の幹には油管があり、燃料油のコパイバ油を産出する。クラスタビーンの種子はマンノガラクトンの濃度が高く、粘性が強く、中国では石油採油に使われる。ダイズとラッカセイは重要な食料油作物である。

 イナゴマメの種子からチョコレートの代用品がつくられ、カフェインを含まないので、アメリカでは自然食愛好家が好む。南アメリカのオオイナゴマメの種衣は粉質で、ミルクに溶かして飲料にされる。南アメリカのインガ属の種衣は甘く、果物として扱われる。タマリンドの種衣はクエン酸やリンゴ酸を含み甘酸っぱく、熱帯で清涼飲料、酒、菓子に使用されている。カワラケツメイ、トウアズキの葉やハブソウの種子はお茶にする。トンカマメとキンゴウカンの花からは香水がとれる。薬用種も多いが、カンゾウ、クララ、コロハ、ハブソウ、エビスグサ、エンジュ、デリスなどが代表的である。

 赤や黒の美しい豆は、ネックレスをはじめ種々の装飾品となる。観賞用植物も豊富で、スイートピー、ルピナス、オジギソウ、ハギ、エニシダ、ハナズオウ、ネム、フジがあり、熱帯では、デイコ(デイゴ)、アカシア、ホウオウボク、オウゴチョウ、バウフィニア、ホウカンボク、ヨウラクボク、ベニゴウカンキングサリ、カシア属のゴールデンシャワーとピンクシャワー、仏教の聖木ムユウジュ、バラモン教の聖木ハナモツヤクノキなどの樹木をはじめ、つるではチョウマメや緑白色の花のヒスイカズラなど多彩である。

 なお狭義の豆とは、通常はマメ科の種子のみをいうが、コーヒー豆(アカネ科)やハズ(トウダイグサ科)のように、他科の丸い小粒の種子を豆とよぶこともある。

[湯浅浩史 2019年11月20日]

栽培史

豆の栽培は穀物とともに古く、各地の初期農耕遺跡から豆が発見されている。メソポタミアでは紀元前8000~前6000年のエンドウとレンズマメが出土し、前5000年ヒヨコマメが加わり、栽培も広がり、ヨーロッパには前5000~前4000年にかけて、エンドウとレンズマメが伝わった。ソラマメの出現は遅れ、初期青銅器時代(前3000~前2000)である。これらのマメは古代エジプトでも栽培された。

 インドには前2000年ころまでにエンドウ、ヒヨコマメ、レンズマメが伝来した。一方、インド原産の豆類がいつごろから栽培化されたかは資料が少ないが、リョクトウとケツルアズキは日本の鳥浜貝塚(福井県)の縄文前期の前6000~前5000年の地層から出土しているので、起源は相当古いと考えられる。

 中国のダイズは、周代にその象形文字である(叔にあたる)が現れる。前7世紀ころまで中南部で雲貴高原原産の黒いダイズが栽培され、北方系の黄色いダイズは春秋時代に斉(せい)の桓公(かんこう)が中原(ちゅうげん)に伝えたといわれる。

 アメリカでは、メキシコのオアハカの洞窟(どうくつ)遺跡から前8000年ころのインゲンマメ属の種子がみいだされ、前2400年ころまでにはインゲンマメ、ベニバナインゲン、タチナタマメが栽培されたことが明らかにされている。ペルーではライマメが前3000年のチルカ遺跡、および前2500年のワカ・プリエタ遺跡から発掘されている。同じくワカ・プリエタの前850年の地層からラッカセイが出土しているが、ラッカセイはさらにそれをさかのぼる報告もある。

[湯浅浩史 2019年11月20日]

利用

日本では紀元前の豆としては、鳥浜貝塚のリョクトウとケツルアズキだけが知られる。ダイズとアズキは死体穀物誕生型の神話が、『日本書紀』(巻1・神代上)にあり、保食神(うけもちのかみ)の死体の「陰(ほと)に麦及び大小豆(まめあつき)生れり」と語られている。『万葉集』にマメは1首、巻20で「道の辺の茨(うまら)の末(うれ)に這(は)ほ麻米(まめ)のからまる君を別(はか)れか行かむ」と詠まれている。このマメは野生のツルマメかヤブマメとされる。

 アズキを赤飯として特別な日に食べる風習は平安時代に原型がみられ、『延喜式(えんぎしき)』には、1月15日、宮中、民間ともに小豆粥(あずきがゆ)を食べた記述がある。中国では3世紀なかばの周処の『風土記』に、アズキを14粒飲むと一年中病気にかからないと書かれ、冬至に小豆粥をつくって食べた。アズキに威力があるとみられた根拠の一つは、赤を火(陽)の象徴としてとらえる中国の陰陽思想に由来するとの見解がある。

 豆の種子は大きさや重さが一定したのが多く、インドではケツルアズキを金粉や真珠の計量用分銅に、スリランカなどでもナンバンアカアズキ(クジャクマメAdenanthera pavonina L.)を宝石や高価な薬の分銅に使った。ナンバンアカアズキやデイコ(デイゴ)は種子が赤く、ベニマメノキ属やトウアズキ属は赤と黒の2色で美しく、アマゾンのインディオ、オーストラリアのアボリジニーをはじめ、各地の先住民がネックレスやブレスレットなどの装飾品に利用している。

 聖書に登場するイナゴマメは、「聖ヨハネのパン」St. John's breadとよばれる。

[湯浅浩史 2019年11月20日]

民俗

日本

大豆は中国原産の作物で、日本に導入されたのも古い。『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』(931~938ころ)ではすでに和名を「万米(まめ)」としている。これは、大豆は定畑(じょうばた)や田畑の畔(あぜ)でつくられるほか、焼畑でも多くつくられ、また食物としても副食および調味料の代表的存在であることからわかるように、古くから重要な、かつなじみ深い作物・食物だったからである。日本でつくられている大豆には夏大豆型、秋大豆型、その中間型とがあり、おおよそ中部、近畿、四国、中国地方では秋大豆型、それ以外の地方では夏大豆型か中間型をつくる。秋大豆型の地方と、北九州・沖縄では、作付けに豆突き棒などとよぶ棒を使い、耕土面に穴をあけて種を播(ま)く所がある。食物としては煮豆、煎(いり)豆、呉汁(ごじる)、きな粉、加工品としてみそ、しょうゆ、湯葉、納豆があり、また食用油もとっている。大豆はこうした実用的利用だけでなく、節分(年越(としこし))に煎(い)った大豆を鬼打ちに撒(ま)き、これを年齢の数だけ食べると健康だという伝承が全国的にあり、さらに、小正月(こしょうがつ)や節分の年占(としうら)の一種に豆占(まめうら)もあることなどから、呪(じゅ)的な穀物と考えられていたことがうかがえる。豆占とは、いろりなどへ大豆を月の数だけ並べ、焼けぐあいでその年の各月の天候や吉凶を占うことである。天候は大豆が白いと晴、黒く焦げると雨、早く焼けると干害があるなどという。このほか、大豆を耳塞(みみふさ)ぎ(同齢者が死んだときの呪術)に使ったり、粉を豊作の呪(まじな)いに使う所もある。

[小川直之 2019年11月20日]

世界

塊根(かいこん)栽培民を除いた多くの農耕社会では、豆類は穀物を補うもの、あるいは両者がそろって初めて農耕が完全なものになるということから、この二つは象徴的な意味で補完的対立をなすものとしてとらえられることがある。たとえば北および中央アメリカの先住民は、しばしばトウモロコシと同じ穴かそのそばに豆を播(ま)くので、豆はトウモロコシの茎に絡みついて生育する。そして北米先住民イロコイ人の社会では、その場合にトウモロコシを男性、豆を女性とし、逆にトゥテロー人の社会ではトウモロコシを女性、豆を男性とする。またメキシコのマヤ語族チャムラ人は、太陽(キリストでもある)がトウモロコシを、月(マリア)が豆とジャガイモをもたらしたとしており、いずれにせよトウモロコシ(穀類)と豆は、男と女の関係に対応するような補完的対立関係をなしていると考えられる。さらに古代インドの豊穣(ほうじょう)儀礼では、1粒の大麦が男根を、2粒の豆が睾丸(こうがん)を象徴している。これらのことからフランスの人類学者レビ(レヴィ)・ストロースは、豆は対立的な二つの性の媒介物であると同時に、生と死の中間に位置するあいまいな存在、または生と死の対立を媒介するものと説明している。

 古代ギリシアのエレシウス儀礼で豆が禁止されたり、エジプトの神官やローマのジュピターの司祭が豆を禁食されていた反面、アッティカのピュアノプシア祭のときに豆が食されたり、ローマのバレンタリア祭やフェラリア祭で豆が供物として捧(ささ)げられたのは、やはり豆が二つの世界を交流させたり遮断したりする媒介物としての役割をもつためという。

 ローマのレムリア祭では、家長が黒い豆を口に頬張(ほおば)ってそれを吹き散らしながら家の中を歩いて死者の霊を家から追い出すが、これは日本の節分の豆撒(ま)きを想起させる。また奄美(あまみ)地方には「マブリワハシ」といって、死者の霊が家に残らないように黒く炒(い)った大豆を室内に撒く儀礼がある。日本でも多くの年中行事や通過儀礼に豆類が多く使われるが、これは豆のもつ民俗的意味や作物として(とくに古い焼畑農耕にとって)の重要性のほかに、季節の変わり目や社会的地位の移行時に媒介者としての役割を果たしているためともいえる。

[板橋作美 2019年11月20日]


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普及版 字通 「豆」の読み・字形・画数・意味


常用漢字 7画

[字音] トウ
[字訓] たかつき・まめ

[説文解字]
[甲骨文]
[金文]

[字形] 象形
足の高い食器の形。〔説文〕五上に「古、するなり」とあり、〔国語、呉語〕に「觴酒(しやうしゆ)豆」の語がある。儀礼のときには数十豆を用いることがあった。いま存するものには春秋期以後のものが多く、「豆(じようそんとう)」「善(ぜんほ)」と銘するものがあり、系統の器とされたのであろう。は黍稷(しよしよく)をいれる器であった。儀礼の際に塩物、ひたし物、飲み物に用い、古い儀礼が失われたのちには、豆は祭器としてのみ用いられた。また、(とう)に通じ、豆をいう。

[訓義]
1. たかつき、祭器。
2. そなえもの。
3. さかずきの台。
4. めかた、十六黍を以て一豆とし、六豆を一銖とする。
5. まめ。

[古辞書の訓]
〔字鏡集〕豆 マメ

[部首]
〔説文〕になど五字を属し、また、豊(れい)・豐(豊)(ほう)・(き)の諸部を列する。字の豆は腰かけの形である。

[声系]
〔説文〕に豆声として・豎・・短・頭など十二字を収める。みな太く短い形や状態をいう語である。

[語系]
豆・・頭・doは同声。木豆を豆といい、はその重文とみてよい。頭は首、は項(うなじ)。首やの形は豆に近い。dioは立つ、豎zjioはたてに立てる、doはそのまま止まる意。同dongは筒形の酒杯、筒・胴は同声。みな同系の語である。

[熟語]
豆区・豆秧・豆火・豆・豆芽・豆角・豆・豆・豆・豆・豆沙・豆査・豆砕・豆・豆滓・豆実・豆酒・豆粥・豆漿・豆・豆人・豆・豆俎・豆枕・豆肉・豆乳・豆飯・豆糜・豆腐・豆粉・豆餠・豆・豆脯・豆棚
[下接語]
献豆・豆・祭豆・執豆・羞豆・豆・牲豆・薦豆・俎豆・豆・竹豆・肉豆・杯豆・飯豆・

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「豆」の意味・わかりやすい解説


まめ
bean; legume

マメ科植物の種子の総称としても使われるが,普通は食用となるものをさす。穀物に次いで重要な食用資源で,数千年も昔から栽培されているものが多い。主として一年生または越年生の種類で,種子は子葉が肥厚して貯蔵器官となった無胚乳種子である。蛋白質,油脂,デンプンなどを多量に含み,また塩類やビタミン類などの含量も多い。エンドウやインゲンなどでは,成熟種子のほか未熟の莢 (豆果) も食用にする。大豆は蛋白質や油脂を多く含み,昔から味噌,醤油,豆腐などの原料となる。ほかにソラマメ,アズキ,ササゲ,フジマメ,ナタマメ,ナンキンマメ (ピーナッツ) などが食用に栽培される。


とう
dou

中国古代に用いられた脚付き,ふた付きの食器。黒灰色の土器で,竜山文化以降盛んにつくられ,のちに青銅製もつくられた。日本の高坏 (たかつき) にあたり,中国では礼器として使用された。

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百科事典マイペディア 「豆」の意味・わかりやすい解説

豆【まめ】

マメ科植物のうち,種子を食用とするもの,また種子そのものの総称。古くはダイズのことをさした。イネ科の作物に次いで重要な食用作物で,種子は栄養価が高い。おもなものはダイズ,アズキ,ラッカセイ,エンドウ,インゲン,ソラマメ,ナタマメ,ササゲ,フジマメなど。

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動植物名よみかた辞典 普及版 「豆」の解説

豆 (マメ)

植物。マメ科の一年草,園芸植物,薬用植物。ダイズの別称

豆 (マメ)

植物。マメ科のつる性一年草。ツルマメの別称

豆 (マメ)

植物。食用豆類の総称

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世界大百科事典(旧版)内のの言及

【青銅器】より

…しかし罍とか大型化した壺(こ)があるところから,酒を使う行事が廃れたわけではなく,青銅器で使られるものが少なくなったというべきである。一方,飯を盛るはちの類で,簋を隅丸長方形にした形の盨(しゆ),低い方錐形の器に同形の蓋をかぶせた形の簠(ほ)が現れ,鬲の比率が増し,つまみ類を盛る高杯(たかつき)(豆(とう))も青銅製のものが多く作られるようになる。食物関係の青銅器が充実してきたといえよう。…

【高杯∥高坏】より

…平城宮出土の土師器(はじき)の高杯には,〈高坏〉〈高盤(たかさら)〉と墨書したものがある。中国では古く,高杯形の木製品を〈(とう)〉,竹製品を〈籩(へん)〉と呼んだ。ただし中国考古学では土器や青銅器の高杯も豆と称する。…

【実】より

…このように自動的に種子を飛ばすものもあるが,裂果の多くは風などでゆれることにより小さい種子を飛ばす受動型である。裂果はさらに袋果follicle(離生めしべで,1ヵ所で縦に裂ける),豆果legume(マメ科のように1心皮性だが,心皮の腹側と背側で裂開する),蒴果(さくか)capsule(合生めしべ)などに分けられる。 閉果は一つの子房室にふつう一つの種子がある実にみられる。…

【ダイズ(大豆)】より

…蝶形花で長さ約5mm,白・紫・淡紅色などを呈する。開花後,約5cmに伸びた莢(さや)の中に2~4個の種子(豆)がはいる。種子は,球~楕円球だが,扁平のものもあり,直径5~10mm,1000粒の重さは100~450g。…

※「豆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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