翻訳|army
軍隊とは、国家の機関として組織され、責任ある指揮体系のもとで、国家の行為としての戦闘に、一定の権利義務をもって、公然と兵器を携えて従事する集団をいう。
国家の正規の軍隊は、国際法規・慣例上、交戦者(戦争に従事する権能を有する武装部隊)の資格を認められている。交戦者としての武装部隊は、戦争法規で明確に禁止されていないいっさいの手段をもって敵を攻撃し、または敵に抵抗する権利を有し、敵が抵抗を継続している限りそれを破砕することができる。部隊が抵抗を停止した場合には、その構成員は捕虜として人道的な名誉ある待遇を受ける権利を有し、捕獲者は捕虜の生命を助命し、保護し、かつ人道的に管理する義務を負っている。
正規の軍隊でない不正規部隊(正規部隊に編入されていない民兵隊、義勇隊)および組織的抵抗運動団体でも、(1)部下について責任を負う1人の者が指揮している、(2)遠方から認識できる固着の特殊標章を有する、(3)公然と武器を携帯している、(4)戦争の法規・慣例に従って行動している、の4条件を備えていれば、交戦者の資格が認められている(陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約ノ付属書、陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則第1条)。また群民兵(占領されていない地域の住民が、敵部隊の接近にあたり、正規の武装部隊を編成する時日がなく、侵入する敵部隊に抵抗するために自発的に武器をとった抵抗集団)の場合は、前記条件の(3)(4)が満たされていれば交戦者の特権が認められている(同規則第2条)。こうした点から、一般には前記の4条件が軍隊としての最低条件とみなされている。
軍、軍部、軍隊、軍備ということばは本質的に共通性をもつにせよ、その概念には差異がある。武装集団としての軍隊とこれを統御する管理機構全体を総称して軍ないし軍部というが、狭義においては、軍部は軍隊全体の管理統制にあたる中枢的存在である高級将校団をさす。また軍というとき、軍隊そのものをさすこともあるが、実戦配備についた軍(方面軍など)という軍隊の行動単位をさすこともある。軍備と軍隊はしばしば同意語として使用されているが、軍隊が兵力や編成を主としてさすのに対し、軍備は兵力そのものよりも装備や施設に力点があり、より包括的に使用される場合には、国家の武力を直接構成するいっさいの人的、物的要素を意味する。
[林 茂夫]
国家の政策遂行手段としての軍隊の役割と機能は、国家の社会的性格とその政策によって異なるが、概括的にいえば、軍隊の役割は、(1)国防、(2)国家の統一保持、国家体制(政治・経済・社会体制)の転覆阻止、(3)国の対外政策(国家利益追求、海外権益保護・拡大)の効果的な達成、にある。国家は軍隊を保有することにより、また事態に応じて武力の威嚇的使用や武力を行使することによって、前記目的の保持、達成を期している。
一般に国防は軍隊、国内治安は警察の任務といわれているが、外敵だけでなく内敵(革命運動や反体制勢力)に備えて体制維持、内乱鎮圧にあたるのも軍隊の主要な任務である。1968年のフランスのゼネストに対する政治的威嚇としての軍隊の投入、70年以降の北アイルランドにおけるイギリス軍隊の抑圧的役割、80年の光州市民決起に対する韓国軍の武力鎮圧などがその例である。日本でも明治初期の内乱や暴動が軍隊に鎮圧されたのをはじめ、明治から大正、昭和初期にかけて、農民が自由自治を掲げて決起した秩父(ちちぶ)事件や米騒動、足尾銅山・軍工廠(こうしょう)・神戸造船所ストなど、社会的大事件やストライキに軍隊が出動したケースは数十件に及んでいる。アメリカの独立戦争、ロシア革命、中国革命は、同じ国家の政府軍に対して人民の革命軍隊がつくられ、内乱、内戦を起こして政府軍を倒し、新しい国家をつくった例である。
すべての軍隊の役割が文字どおり祖国防衛だけなら、そもそも国家間の戦争はなかったはずである。にもかかわらず、繰り返し戦争があったのは、自国の安全や利益を守るためといって、なんらかの方法で国民の合意を取り付け、軍隊が国境をはるか離れた地域で、(3)の目的で領土や利権を獲得するために使用されたからにほかならない。軍隊が国家利益追求のもっとも効果的な手段として、ゆるぎない地位を確保してきた理由はここにある。
日清(にっしん)戦争、日露戦争は日本の安全のために戦われたというが、日本の国土は一度も侵略されていない。その戦場は、日清間の戦争であるのに朝鮮であり、日露間の戦争であるのに朝鮮と清国の満州であった。日清戦争では、戦勝の代償として巨額の賠償金と台湾を得たほか、第三国である朝鮮の支配権も認めさせた。日露戦争では、南樺太(からふと)(サハリン)を得たほか、ロシアが清国から租借していた旅順(りょじゅん/リュイシュン)、大連(だいれん/ターリエン)を奪い、朝鮮の支配権をさらに強め、数年後これを併合、日本の植民地とした。
19世紀には、欧州の先進国は軍隊を用いて外国領土を併合して植民地にしたり、租借地を設けたりした。海外に軍隊を配置して植民地支配を維持し、また植民地住民の抵抗が爆発すると、在外国民の生命・財産や在外権益を守るためといって出兵、鎮圧し、さらに利権を奪ったりした。第一次世界大戦は、植民地をもつ帝国主義諸国家間の植民地争奪戦であった。
民族独立運動や独立戦争によって、多くの植民地が独立を達成した第二次世界大戦後は、軍隊を直接投入することは政治的に困難となった。そこで先進大国は条約締結や軍事援助などをてこに、新興独立国をその勢力圏内にとどめておこうとしたり、要請に応じる形で革命や内乱鎮圧に軍隊を投入するようになった。朝鮮戦争、ベトナム戦争は、朝鮮、南ベトナムの内戦にアメリカ軍が介入してのち拡大されたものであり、ハンガリー(1956)、チェコスロバキア(1968)、アフガニスタン(1979~89)への旧ソ連軍介入も同じような例である。また、91年の湾岸戦争ではイラクのクウェート侵略に対してアメリカをはじめとする多国籍軍が介入、出動。99年にはユーゴスラビア(現セルビア)のコソボ自治州における民族紛争であるコソボ紛争にアメリカ主導のNATO(ナトー)(北大西洋条約機構)軍が介入、激しい空爆による戦争が国際的大問題となった。
[林 茂夫]
核兵器とその運搬手段の発達は、軍隊の伝統的な役割と機能に大きな変化をもたらしつつある。長い間戦争は問題(紛争)解決の決定的手段と考えられてきたが、破壊効果の非常に大きい核兵器と、地球上のいかなる地点も戦場化しうるミサイルの発達によって、人類破滅の危険すら予測される事態となったため、戦争は問題(紛争)解決の決定的手段とはなりえなくなり、国の存続さえ危うくするものとなった。
このため、対外政策遂行や安全保障に占める軍隊の役割は唯一絶対のものでなくなり、その役割は減少し、相対的に非軍事的な手段の比重が高まってきている。軍事ブロック方式にかわる各種の安全保障方式や構想が生まれる背景である。さらに戦争遂行力としての機能よりも、戦争を未然に抑え込む戦争抑止力としての平時の機能が重視されるようになり、平時においてもつねに膨大な軍備が保有・整備されるようになった。巨大な軍隊が常時存在する状況は、各国および世界の政治、経済、社会に重大な影響を与えつつある。
また無限界的であった武力行使が制約されるようになったため、戦力は核戦力、通常戦力、特殊戦力に分けられるようになり、核戦力は威嚇的に使用され、通常戦力なども段階的に、地域的に限定して使用されるようになった。しかしなお軍隊は基本的に伝統的な役割と機能を保持したまま、新たな要素を加えて戦力強化の一途をたどっている。
[林 茂夫]
軍隊は各国の軍事法制によって陸軍、海軍、空軍などとして建設、維持、管理されているが、核・ミサイル兵器、航空・宇宙兵器、電子戦技術、精密誘導技術などの軍事科学技術の発達は、軍制や軍隊の構造を大きく変えつつある。
軍事力の即応性と確実破壊の能力が著しく高まってきたため、東西対立という政治的要因も加わって、先進国の軍隊はつねに即応戦力を保持し有事即応の態勢にあった。この状況は第二次大戦前にはなかった大きな特徴である。
さらに作戦規模が拡大し戦闘様相が複雑・立体化してきたため、陸海空部隊の統合運用が必要となり、主要先進国では陸海空三軍存置のまま作戦指揮体系を一元化し、地域別統合軍や任務別の統合軍、特定軍、特殊部隊を常設するか、臨時に編成するようになっていった。また経費の節減、業務の効率化を図るため、作戦部門以上に行政部門は統合化され、陸海空各軍の行政関連機構の共通機関化が進んでいった。カナダでは作戦・行政両部門の統合化を徹底して、1968年2月に陸海空三軍制をやめ一軍制の軍隊が発足した。
兵器体系が高度技術化・複合化して巨大化したため、軍隊に占める直接戦闘部隊の比重は低下し、技術・事務部門の比重が増大し、かつて戦闘部隊に従属する地位にあった非戦闘部隊が戦闘部隊の3倍以上を占めるようになった。その結果、科学技術、補給管理、国防行政などの複雑多岐にわたる高度の知識・技能を有する軍人の数が急増し、なかでも先進国の軍隊では、「戦士集団」としてのイメージは過去のものとなってきている。
[林 茂夫]
先進国では、軍隊に対するシビリアン・コントロール(文民統制)は各種制度によって機構的には定着しているが、ベトナム戦争にみられたアメリカのように、実質は形骸(けいがい)化し、その内実が問題になってきている。
戦争勝利戦略から平時を重視した戦争抑止戦略への転換は、軍事戦略と対外政策の区別を不明確にさせ、戦略の外交化、外交の戦略化といわれるほど軍事と外交の一体化を不可避的にもたらすものとなった。従来、戦略は、狭義には軍事戦略を意味し、広義には政治、軍事、外交、経済、心理、思想の全分野にわたる総合戦略を意味するものであったが、今日では後者のみを意味するようになり、軍事戦略はその一部とみなされるようになった。
このため軍事力のプレゼンス(存在)と政治、外交などとの緊密化・統合調整の必要から、軍首脳部の政策関与が制度的に保障され、安全保障政策の決定や計画の立案といった政治的領域で軍が重要な役割を演じるようになった。一方、外交、政治などとの一体化に加えて、軍事技術の高度化、マネージメント理論の発達が多くのシビリアンを軍事的領域に進出させ、国防のトップにあるシビリアンが軍事的な戦略・戦術計画の策定だけでなく、実動部隊の運用にまで関与するなど、軍事的領域で重要な役割を果たすようになった。
このような政府機構の変容は「国防国家」、軍を含む全政府機構の軍事化と指摘されている。資本主義先進大国では、破綻(はたん)してきた抑止戦略の補完策として重視されだした危機管理戦略のもとで、この傾向に拍車がかかりつつある。
こうした状況のなかで、文民統制については、その概念を拡大発展させ、単に軍隊だけでなく広く軍需産業なども含めた全軍事機構に対する国民的統制の必要が論議されるようになった。さらに民主主義の根幹にかかわる問題として、こうした動きに対し、いかに個人の自由、人権を守るかが問題となりつつある。
発展途上国では、後進国はもとより中進国といわれる国々さえ、そのほとんどが、政治的性格は異なるが、軍政下か、もしくは軍の強い影響下に置かれている。
各国の軍隊成立の過程はそれぞれの歴史的事情によって異なるが、国家が育成にもっとも力を投入した軍隊は、途上国にあっては近代化の早い官僚集団であり、そこには特権階級以外の社会層出身の優れた分子が吸収された。その結果、軍隊が国内統一と独立国の主権を守るため、その政治的比重を増大させるなかで、軍隊内に軍事的エリート集団が成長・発展した。1960年代に入って以降、アジア、アフリカ、ラテンアメリカにおいて、相次いでクーデターによる新しいタイプの軍事政権が誕生した。国によって政治的性格は異なるが、その担い手はこれらの軍事的集団である。本格的な国家建設や近代化の過程で生じた政治的、経済的、社会的、文化的な摩擦や衝突、それらを背景とする反乱に対し、彼らは無能・腐敗の政権を倒したが、従来のように一時的な秩序維持者としてではなく、長期的な政権を目ざしている点が特徴的であった。
途上国の工業化はこうして推進されたが、急激な工業化による伝統的な社会システムの変容からくる社会紛争を、国家安全保障と社会安定の名のもとに抑圧するなかで軍隊の比重は高まり、それを基盤に軍の主導下で工業化、軍事力の近代化が進められた。工業化、軍事力の近代化は同時に、先進国の経済的、軍事的援助をてこにした影響力の維持・拡大をもたらし、二重の抑圧体制下に置かれた民衆の反乱を引き起こした。これがまた軍の強化を必要とさせた。この過程で国家と軍の一体化が進行し、軍部主導型の政治体制が固められていった。なかには、制度的改革と軍主導型政党の形成などにより、軍事政権的色彩を薄めた国もあるが、実質は軍隊が権力の重要な基盤となっている。
こうした軍事化と工業化との相互連動の歴史によって、途上国を離陸しつつある中進国でさえ、ほとんどが、人権や福祉よりも、強い国家を目ざす強権的統治体制下にある。
[林 茂夫]
第二次世界大戦までは、軍事経済は、戦争のための直接的準備期と戦争中の短期間だけ大きな割合を占めたにすぎず、平時の国民経済ではわずかな割合しか占めていなかった。第二次大戦後は政治的、軍事的理由から、平時においても膨大な軍隊が保有・整備されるようになったため、戦時・平時を問わず軍隊に装備を供給する軍需産業が大規模に常備され、軍事経済は日常的存在と化している。それはまた軍と大企業との癒着を進行させ、軍産複合体とよばれる近代兵器の研究・生産・輸出の維持・拡大に利益を共有する権益集団の形成をもたらした。旧ソ連でも欧米型とは違うが、軍と経済・技術官僚部門を中心とする軍産複合体が形成されていた。
戦争抑止戦略は、軍事的優位を維持することによって相手の侵略的意図を抑止しようとするものであるため、同戦略への転換は軍拡競争を必然的にした。こうして軍拡競争は、軍産複合体の存在とも相まって、米ソを頂点に止めどなく進行し、さらに軍事技術の発達と高度化が相乗的に作用して、軍事支出は平時にもかかわらず増大一途の傾向を示した。1980年代に入って、アメリカの軍事支出の増加率は、朝鮮戦争、ベトナム戦争中と同じとなった。
肥大化した軍産複合体の圧力は強大かつ多岐にわたって社会全体に及び、国家財政が大幅な赤字にもかかわらず、他の国家計画を犠牲にしてまで軍事支出の維持・増大が図られていった。かつては軍事的脅威の性格の判定、ついでその対応策の決定という順序で軍事支出の増額が決められてきたが、今日では、バランス論的にまず軍事支出の増額を決定、ついで調達兵器が決定されるという傾向が顕著となっている。
1970年代から急増した米ソ(現ロシア)など先進国による第三世界への兵器輸出を媒介として、軍拡競争は、その政治的要因は違うが第三世界の底辺にまで広がり、欧米型、ソ連型とも異なる第三世界固有の国家と軍と産業が一体化した軍産複合体が、先進国の多国籍企業を産婆役に形成されるに至った。第三世界の軍事費の絶対額は小さいが、世界全体の軍事支出に占める比率は急上昇し、軍事クーデター以前に比べ発展途上国の軍事支出は3~6倍に増えている。冷戦終結後、一時、通常兵器取引は減少したが、95年以降ふたたび増大し、おもな輸入国はかつての中近東諸国から、中国、台湾、韓国などASEAN(アセアン)(東南アジア諸国連合)諸国へと移っている。政府予算に占める軍事支出の比率は先進国のそれをはるかに超え、それが経済発展をゆがめ、累積債務の増大や飢餓状況を造出している。膨大な飢餓人口を抱える「飢餓大国」は、アフリカをはじめアジア、中南米に広がっている。
このような軍拡の世界構造化は、国連の各種調査報告書その他で軍事支出が経済に及ぼす悪影響が指摘されているにもかかわらず、軍縮をますます困難にしつつある。1970年代の国連「軍縮の10年」は完全に失敗した。
軍事技術の高度化による軍事力の技術集約型軍事力への変質は、軍需産業を変質させ、いまや軍需産業は重化学機械工業を中心としたものから、先端ミサイル電子部門を軸とした産業に変わっている。鉄鋼、非鉄金属、自動車、化学など、かつて軍需と密接な関係にあった基幹民需産業は軍需とほとんど無縁の産業となり、軍需関連産業ではなくなっている。このため、1970年代のアメリカに顕著にみられたように、軍事支出を増大し軍需に力を入れれば入れるほど、基幹民需産業部門での投資が立ち後れ、巨額の財政赤字を累積させながら、基幹民需産業の生産性と国際競争力の低下、失業者の増大をもたらす結果となる。同盟国と第三世界にしわ寄せしながら、軍拡経済のもとで経済の一定の活性化を図った80年代のアメリカが、にもかかわらず対外収支の赤字幅が史上最高を記録し続けていることに示されているように、今日の軍事力と軍需産業の構造的特質は、アメリカでさえ、軍拡によっては経済の構造的停滞を脱却できないものにしている。このため、「景気高揚のために軍拡を」という主張はもはやなされなくなった。一方、冷戦後は生き残りをかけた新たな合併・再編により、アメリカ軍需産業界の巨大化が進み、これに対抗するためヨーロッパでも国境を越えた統合化が進行している。
[林 茂夫]
軍隊と社会の関係について、これまでは、軍隊・軍人を一般社会から切り離された特別のものとみなし、軍隊は社会から孤立しても戦闘効率を高めるために必要な軍独特の価値観を保持し続けるべきである、軍隊を活力ある組織体にするためには、軍隊ではなく社会が変化しなければならない、という考え方が支配的であった。だが、そのような考え方の前提にあった軍事領域と政治領域の判然とした区別そのものが不明確になり、さらに軍事技術の高度化により、軍隊・軍人に必要とされる技能が一般社会・民間人のそれと類似化してきたため、先進国では将校のなかにも、軍隊と社会の一体化を求める傾向が強まってきている。それは、軍隊・軍人は社会全体から孤立したものであってはならない。自らを新しい社会環境に適応させなければ、複雑・高度化された技能を必要とする軍隊を維持したり、効果的な任務遂行に必要な人材を得ることはできない。軍隊・軍人は社会のなかで一般的に適用する価値観を共有することが必要であり、社会ではなく軍隊が伝統的な考え方や行動様式を修正しなければならない、というものである。
社会における人権意識の進展や戦争観の変化、軍隊のあり方の転換を求める動きを背景に、軍隊における伝統的な命令服従の関係、兵士の生活条件や待遇・権利の問題、将校・兵士の教育のあり方と内容、平時における軍隊の社会的有用性などが問われている。さらに徴兵制度の不公平是正の要求、兵役拒否者・登録拒否者の増大など、先進国の軍隊はさまざまな困難や課題に直面している。
上官の不法な命令に対する反対・不服従の権利は、フランス、ドイツでは明文化されている。兵士の待遇改善や民主的権利の擁護などを目標に、公務員労組の一部門として軍人労組が組織されているスウェーデン、ノルウェー、フィンランド、ドイツ、オーストリア、オランダでは、原則として一般公務員の労働条件に関する規定は軍人にも適用されている。ドイツでは、制服を着用しない限り、基地以外での政治的集会への参加、政治的な表現行為は自由であり、オランダでは兵営内に組合事務所があり専従兵がいる。アメリカでは、軍の裁判制度が一般社会における裁判と同じ方向に改革された。良心的兵役拒否は第一次世界大戦時に宗教的理由から認められたが、現在は哲学的・政治的理由にまで拡充され、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツなど20か国以上で制度化され、多くの国で制度化を求める要求が強まっている。
徴兵制への強い不満やさまざまな難問題がありながら、多くの国が徴兵制度を採用している理由は、安全保障政策上、財政上、人員上のためで、そのもとで選抜徴兵制、徴兵猶予制、軍務以外の公的役務制や、志願制の併用、自宅待機軍制(空軍以外の陸海軍に適用―スウェーデン)が実施されている。一方、絶えず志願制への切り換え、兵役期間の短縮、全国民への公的役務構想などが問題にされている。
軍隊への女性進出は第一次世界大戦時からのことであるが、政治的・社会的・経済的な男女平等を要求する社会的動きを背景に、多くの国で人的兵力確保策として急速に進んでいる。1976年、アメリカの陸海空三軍士官学校が女性の入学を受け入れたことはそのことを象徴的に示している。軍隊内の非戦闘職種への配置にとどまらず、婦人将兵の戦闘職種への進出を平時から認めるべきであるかどうかが論議される状況にある。イスラエルなどでは女性も徴兵対象者である。
[林 茂夫]
原始社会では、軍隊という専門集団は存在せず、社会の成員すべてが戦闘員であったが、国家の発生と同時に国家体制維持の実力組織としての軍隊が形成された。古代奴隷制社会の軍隊は、都市国家の市民軍や古代インド・ヨーロッパ諸帝国の傭兵(ようへい)軍、隋(ずい)・唐や日本の大化改新の徴募軍団もすべて奴隷所有者階級の軍事組織であった。都市国家の市民軍は武装した市民が主であったが、都市国家を征服して形成されたローマ帝国やオリエント諸帝国の軍隊は、数も多く装備も充実した常備の職業的軍隊が主で、本質的に奴隷獲得・対外征服のための手段であった。
[林 茂夫]
古代国家が崩壊し封建制社会になると、封建領主(国王)とその家臣団を中核に封建制軍隊が成立し、土地ごと武士(騎士)に支配された農民は武装解除されて農奴にされた。この時代の特色は、古代の歩兵の軍隊が騎兵の軍隊になり、城砦(じょうさい)を中心に軍隊が発達したことである。城と騎兵の軍隊は十字軍の時代を最盛期に衰退し、14~15世紀の火薬と火器の出現で、小銃をもつ歩兵と大砲を主戦力とした君主制軍隊にとってかわられた。モンゴルの騎兵部隊は東ヨーロッパ、安南(現ベトナム)、ジャワ(水軍)に長駆進攻、元(げん)に次ぐ明(みん)・清(しん)の時代に歩・騎・砲の兵種を統合する三兵戦術が発達した。日本では平安時代に発生し鎌倉・室町の武士政権を樹立した武士の戦力は騎兵集団が中心であったが、鉄砲導入はその存在意義を失わしめ、軍隊の主力は農民から集められた鉄砲装備の足軽集団に移った。それを背景に全国支配の体制が確立された。
[林 茂夫]
封建制末期にヨーロッパでは絶対王政が成立し、国王の権力手段としての君主制軍隊が発達した。傭兵からなる強力な常備軍は徴募と俸給によって維持された。この時代の特色は封建的兵役が給料支払い制の兵役となり、兵種が歩兵、騎兵に加えて砲兵、工兵が創設され、軍隊内で経理担当者の地位が重要になったこと、さらに階級制や軍の編成単位の確立など、近代的軍隊・兵制の芽生えがみられることである。君主制軍隊は、国王の信任を受けた将校(職業軍人)と、彼らが集めた傭兵からなり、将校は指揮する部隊の所有者の地位にあったが、のち命令者のみの地位に改革された。各国とも外人傭兵が高い比率を占めていた。巨大な常備軍の維持は財政を逼迫(ひっぱく)させ絶対王政の没落につながった。
海軍は、古代からの漕船(そうせん)が16世紀から帆走船となり、船体の大型化は大砲を主力とする砲撃戦法を可能にするとともに、コンパスの実用化とも相まって大洋での活動を可能にした。17世紀なかばには速力の速い砲装の多い帆走軍艦が出現し、これらを背景に、スペイン、ポルトガル、イギリス、フランス、オランダがアフリカ、南北アメリカ、アジアに勢力を伸張させ、植民地支配に乗り出した。
[林 茂夫]
フランス革命と引き続くナポレオン戦争は、外人傭兵(ようへい)のいない新しい国民的軍隊を誕生させた。周辺諸国軍のフランス革命干渉戦争に打ち勝ったのは、革命で解放された独立自営農民を構成要素とする国民軍であった。ナポレオンに率いられた徴兵制軍隊は、兵士の戦闘意欲でも兵力の動員能力でもはるかに優れていた。ヨーロッパ大陸諸国がフランスに倣って徴兵制を採用した結果、近代国家では、国王の私有物である傭兵軍にかわり、軍事費も国民が負担する義務兵役の国民的軍隊が一般的になった。一方、産業革命以後の兵器の急速な発達は、高度に技術的な専門職業的軍隊を発達させたため、国家の常備軍・正規軍は志願制の職業的軍隊と徴兵制軍隊とで構成されるようになった。イギリス、アメリカは志願制の職業的軍隊をたてまえとし、第一次・第二次世界大戦時には徴兵制を実施した。総力戦的傾向が強まった第一次大戦のころから、徴兵制は一段と強化され、軍需品の平時貯蔵、戦時工業動員の平時準備が重視されるようになった。
連発式小銃、機関銃、迫撃砲、重砲などの陸戦兵器や通信技術、鉄道の発達は地上戦闘の様相を一変させ、第一次大戦に登場した戦車、航空機は第二次大戦では主要戦力となり、かつての騎馬戦闘力にかわる運動戦の花形となった。蒸気軍艦、潜水艦、機雷、魚雷の発達は、海軍の地位を常備軍のなかに確立させた。航空機、潜水艦、無線通信の出現は、軍隊の活動範囲を空中、水中へと広げ、各国は第一次大戦後、相次いで空軍を独立させた。第一次大戦以後、陸軍の機動部隊、海軍艦艇、航空部隊は目覚ましく発達した。
[林 茂夫]
ロシア革命は労農赤軍という新しい軍隊を誕生させた。どこの武器援助もなしに諸帝国主義の干渉軍、国内反革命軍に勝ち抜いた底力は、「すべての働く人民の解放という偉大な目標にむかって」「ソビエト共和国のため社会主義と人類同胞主義の大義のための闘争」(兵士宣誓)に尽くすという兵士の革命的自覚にあった。武装権の労働者農民による独占が明文化され(兵役法)、労農赤軍の任務は祖国防衛と革命支援(野外教令)であり、義務兵役の正規軍と民兵部隊で構成された。階級制は廃止され、軍隊には指揮官とは別に、ソビエト権力の監視者として軍事委員が、司令部、師団から中隊まで配置されていた。1930年代の国際情勢の緊迫と赤軍の近代化の進展のなかで、民兵廃止と正規軍化、階級制復活、さらに革命支援の任務削除、武装権独占の廃棄など、労農赤軍の退化・変質が進み、大祖国戦争勝利後の1946年、労農赤軍(海軍)はソビエト陸軍(海軍)に改称された。
[林 茂夫]
第二次大戦に続く帝国主義・植民地主義に対する民族解放戦争のなかで、各地に革命軍や民族解放軍が生まれたが、中国の人民解放軍はその典型であった。中国、ベトナムでは「人民を組織し起(た)ちあがらせ、人民の力に依拠してすべての人民が戦う」人民戦争のなかで、新しい人民の軍隊が生まれ発展した。従来の軍隊と異なる特徴は、(1)正規軍だけでなく、正規軍・地方軍・民兵の3種の異なる性格の軍隊が結合した武装力体制、(2)戦闘・訓練を行うだけでなく、生産も大衆工作もする、(3)階級制がないうえに、軍隊内の政治上(将校・兵士間の相互批判の権利など)、経済上(兵士の食事・給与の自主的管理など)、軍事上(訓練の将校・兵士間の相互教育、戦闘前の戦術・任務の討論など)の民主的体制、(4)軍事より政治優先を重視し、それを貫くための司令官と同格の政治委員将校の配置である。革命勝利後、中国、ベトナムでは解放軍の義務兵役中心の近代的国防軍化が進行、給与の俸給制や階級制が制定された。中国では大躍進運動、文化大革命のなかで三結合の武装力体制、階級制廃止などが復活したが、文革後は中国・ベトナム戦争を経てふたたび階級制制定など、近代的国防軍化路線が強まり、1998年3月に開かれた全国人民代表大会では、ハイテク条件下の局部戦争を戦うため、中国軍を人力密集型から技術集約型へと転換する「新時期の軍事戦略方針」が決定された。
[林 茂夫]
国連憲章(第43条)に基づく待機軍的性格の国連軍は、意見不一致で未成立。一方、局地武力紛争には、国連総会や安保理事会の多数決議で、戦闘を目的とする在韓国連軍(朝鮮戦争)や、平和維持を目的とする平和維持(監視)軍(スエズ、コンゴ、キプロス、シリア、レバノンなど――伝統的PKO〔国連平和維持活動〕)が編成・派遣された。冷戦後のPKOでは、伝統的PKOとは異なり、安保理事国や地域協力機構(1998年現在ではNATO(ナトー)〔北大西洋条約機構〕のみ)の軍隊が参加するようになり、その役割については否定的な国も少なくない。PKOにはスウェーデンなど提供部隊を用意している国もある。
[林 茂夫]
戦前の大日本帝国の軍隊は、明治維新後に天皇制国家によって創設され、日清(にっしん)・日露戦争からシベリア出兵、満州事変に始まる中国侵略戦争、さらに太平洋戦争へと日本の侵略戦争を遂行し、1945年(昭和20)無条件降服で解体された。満州事変時、陸軍は植民地支配の朝鮮・台湾・関東軍司令部と本国の17個師団で兵力20万、海軍は横須賀(よこすか)、呉(くれ)、佐世保(させぼ)に鎮守府を置き、連合艦隊など兵力7万8000人、艦艇70万トン。太平洋戦争開始時の兵力は陸軍211万人(終戦時547万人)、海軍32万2000人(終戦時169万人)、艦艇97万トン、陸海軍航空機3700機であった。帝国軍隊は近代的軍隊の形をとっていたが、多くの日本独特の性格をもち、日本の政治・社会に大きな影響を与えた。
[林 茂夫]
天皇は大元帥として直接陸海軍を統率し、天皇に直属して軍事行政に関しては陸海軍大臣が輔弼(ほひつ)責任をもち、軍令事項に関しては参謀総長、海軍軍令部長がそれぞれ命令案を立案した。だが陸海軍の統一指揮は天皇大権に属するので、戦時に天皇の幕僚部として大本営が設置されても統合幕僚長は置かれず、このため天皇統率は事実上存在しないのと等しく、それぞれが陸海軍の実質幕僚長であった。これが陸海軍対立の根源であり、国家総力戦体制構築を不可能にした。
天皇から、各県にある歩兵連隊には軍旗が親授され、軍艦には天皇の「御真影(ごしんえい)」(写真)が安置された。兵営の本部正面や軍艦の舳先(へさき)には金色の菊の紋章が取り付けられ、小銃にも菊の紋章が刻印されていた。これらが軍隊の天皇直属意識を強くした。「陸海軍軍人に賜はりたる勅諭」は法的・道徳的に陸海軍を律する最高の規範とされ、兵士には上官の命令は天皇の命令であるとして絶対服従を要求し、厳しい刑罰を科して軍紀の維持を図った。この服従を強制し習慣化させるため、殴打、拷問、侮辱、私的制裁が黙認されていた。さらに新聞・書籍は読むことを許さず、手紙は開封検閲、外出の自由もなく、社会と完全に遮断することで軍紀と服従を維持しようとした。教育の面では、教育勅語が「一旦(いったん)緩急アレハ義勇公ニ奉シ以(もっ)テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」と天皇への忠誠、服従こそ臣民の道であると説き、国民教育でも軍隊教育でも天皇のために死ぬことが最高の名誉と強調された。極端な精神主義の強調は生命軽視の非合理な肉弾戦法を強め、また捕虜となるを許さず死ぬまで戦うことを要求してむだ死にを強制した。
徴兵は徴兵令(のち兵役法)によって実施され、兵役は、現役と予備役をあわせた常備兵役、後備兵役、第一・第二補充兵役、第一・第二国民兵役に分かれていた。陸軍予備役・後備役は15年4か月(海軍9年)、同第一補充兵役は12年間、該当者は「赤紙」召集を義務づけられ、行動の自由も束縛された。徴兵忌避防止のため戸籍と警察網が整備され、徴兵、納税、教育は国民の三大義務とされた。
[林 茂夫]
明治憲法制定当時から軍は独自の司法権、内閣からの独立性の強い軍事行政権、内閣がまったく関与できぬ統帥権を憲法上の制度または慣習として保持していた。さらに明治天皇の超憲法的意志により、陸海軍大臣が直接上奏裁可を得たものもすべて軍令である(つまり内閣が関与できない)とする「軍令に関する件」が制定された結果、軍は独自の立法権も手に入れるに至った。こうして司法・行政・立法の三権にわたる強大な独自性を手中にし、統帥権独立という行動の自由権を確保した軍は、天皇直属の強大な武装集団として国家内国家を形づくることとなり、それは統帥部の越権と独走により帝国国防方針を確定したこととあわせて、もっとも強大な政治勢力としての軍部の確立を意味した。
軍人の政治関与は禁じられたが、それは兵士だけで、将校は自由に政治に介入した。なかでも海軍軍縮条約や満州事変を契機に、クーデターで軍事独裁政権樹立を目ざす国家改造運動が陸軍中堅幹部や青年将校の間に広がり、青年将校による五・一五事件で政党内閣制は崩壊。続く二・二六事件を契機に軍部の政治的制覇は完成し、独占資本を含む諸支配勢力と結合した軍部は陸海軍備の大拡張、さらに中国全面侵略へと進んだ。高級軍人の多くが国務大臣になり、さらに代議士、経済・言論・文化統制機関・教育・地方団体の長などあらゆる分野に進出した。
[林 茂夫]
世界の軍隊の兵力数は主要50か国(現役兵力8万人以上保有国)の現役兵力総計で、1904万8000人であり、その軍事費合計は6333億ドルとなっている(国際戦略研究所編『ミリタリー・バランス1997―98』)。軍事費第1位はアメリカの2623億ドル(現役兵力152万9000人)、第2位の日本が429億ドル(現役兵力23万6000人)で、現役兵力1万人当りでは日本が1億ドルも多くなっている。第3位から第6位までは、それぞれフランス(371億ドル、現役兵力38万1000人)、イギリス(355億ドル、現役兵力21万4000人)、ロシア(310億ドル、現役兵力164万2000人)、ドイツ(271億ドル、現役兵力34万7000人)と続いている。米ソ冷戦時と比べ、冷戦後の様相は大きくさま変わりしたといえる。
[林 茂夫]
アメリカ軍は陸海空軍と海兵隊の4軍種からなる。冷戦時、統合参謀本部の直接指揮下に戦略空軍、輸送航空軍、宇宙防衛軍の3特定軍と、欧州軍、大西洋軍、太平洋軍、南方軍、中央軍(中東=戦略予備)、レディネスコマンド(米本土=戦略予備)の6統合軍が編成されていたが、1985年4月統合宇宙軍(海空の宇宙軍司令部を統合、いずれ陸の関連部隊も参加)が創設された。その任務と、ソ連崩壊後92年6月に創設された統合戦略軍の任務とを比べれば、冷戦後のアメリカの核戦略の際だった特徴が明確となる。統合宇宙軍の任務は(1)衛星打上げと衛星からの指揮・統制活動、(2)衛星活用による弾道ミサイルの警戒、通信・気象および航法自己位置標定などによる陸海空軍への支援、(3)敵宇宙システムの無力化など、(4)地域担当統合軍に対する戦域(弾道)ミサイル防衛に関する支援である。統合戦略軍の任務は、(1)戦略核三本柱(ICBM〔大陸間弾道ミサイル〕、SLBM〔潜水艦発射弾道ミサイル〕、爆撃機〔B‐52とB‐2〕)の運用の計画、調整、指揮、(2)潜在的な核兵器使用能力をもつ国の兆候や意図の探知、警報の発令、(3)潜在的目標を特定するための情報収集、戦略核三本柱による攻撃目標リストの作成、(4)核戦争用通信システムの支援である。なかでも注目されるのは統合戦略軍の(2)(3)の任務である。統合戦略軍の構成は空軍と海軍が中核で、SAC(戦略空軍)、TAC(戦術空軍)、MAC(輸送空軍)が再編されてできたACC(戦闘空軍)とAMC(機動空軍)の戦力の提供を受け、作戦の所要に応じてその運用にあたるのである。ソ連崩壊後、アメリカは唯一の超大国として世界の覇権的支配のために、核兵器と通常兵器の圧倒的優位を固持するとともに、第三世界における開発過程および貯蔵中の大量破壊兵器を探知すること、必要ならこれを破壊することを目ざす「拡散対抗構想」を打ち出したが、それは外交的手段による核保有国出現の「予防」という従来の核不拡散政策にかわって軍事的手段(「防御」的な軍事攻撃)により、あくまでも核保有国出現を阻止するものであった。ソ連脅威論にかわって「ならず者国家」(rogue countries)脅威論が強調され、それらの国々が化学兵器などを使うのを「抑止」し、それらが地下に設けている、あるいは設けるかもしれない堅固な軍事施設を破壊する小型核兵器(地中貫通核爆弾)の配備、さらには新型兵器の開発が精力的に進められている。核爆弾は爆撃機からパラシュートなしに投下されるため、攻撃目標に近い民間施設への被害を少なくして地下施設を破壊できるという。湾岸戦争―最後の伝統型軍隊と最新のハイテク型軍隊との激突といわれたこの戦争は、中国、ロシアなどの軍隊に強い衝撃を与えただけでなく、核廃棄物を活用して、安価に放射能そのものを殺人兵器にかえた劣化ウラン弾(航空機は94万発、戦車は4000発)使用によって、いまなお数多くの人々がその影響に苦しみ、問題となっている。
冷戦時、東西両陣営の軍事力は東側「封じこめ」ラインに沿って対峙(たいじ)していた(前方展開戦略)。冷戦後はグローバルな対立状態は解消、数多くの地域紛争が生起し、かつまた生起しやすくなった。これらの地域紛争の生起を戦略的に抑止し、紛争が生起したら危機に対処し、平和を回復する一連の行動をとれるよう、アメリカは地域防衛戦略に転換した。国防政策の見直し作業の結果出された「ボトムアップ・レビュー」は、アメリカの直面する新しい四つの危険として、(1)核兵器その他の大量破壊兵器の拡散、(2)地域紛争、(3)民主主義と改革に対する危険、(4)経済に対する危険をあげ、対処に必要な戦力とその即応体制維持を指摘した。国防計画を4年ごとに見直すことになり、一方統合参謀本部は、アメリカ軍の統合作戦能力を発展させ各軍種の近代化の努力を統一する初めての統合構想「ジョイント・ビジョン2010」を発表した。その背景には、科学技術の発展が各軍種の境界をあいまいにし軍種機能の再編成を行う必要があること、また各軍種間の重複機能を削減し国防費の縮減傾向に対処する必要が、おもな要因とされていた。QDR(4年ごとの国防計画見直し)中間報告(1997年5月)は、「ボトムアップ・レビュー」の打ち出した二つの大規模地域紛争に同時に対処する戦略を継承するとともに、小規模な緊急事態や非対称的な脅威(示威行動と介入、非戦闘員の救出作戦、海上封鎖の実施、対テロ作戦など)に対し、よりよい対応を可能にするための海外プレゼンスの維持が重要と評価した。しかし、「軍隊の戦力構成見直し法」に基づき設置された国防委員会は、「国防の変換―21世紀の国家安全保障」(1997年12月)と題する報告書を提出、そのなかで二つの大規模地域紛争のシナリオは可能性が低いと指摘したのである。同じころ、米国益委員会、ホワイトハウス、国務省などからも、次の世紀の国家安全保障構想の報告書が出されており、さらに1998年1月、米国防科学委員会の「超国家的脅威」に関する報告も出されている。アメリカの国防計画は大きく変換する前夜にあるといえよう。
[林 茂夫]
旧ソ連軍は戦略任務ロケット軍と防空、地上、海、空の各軍の5軍種からなり、各軍種総司令官は国防相に直属、最高司令官は国防会議議長(共産党書記長)といわれていた。そしてNATOを対象とした近代装備充実の軍づくりを目ざすゴルバチョフ時代の軍改革は、その計画案が提出された段階でソ連そのものが崩壊してしまった。ソ連軍の多くを継承したロシア軍は、その遺産を整理しながら、ハイテク装備の近代軍化を目ざしている。ロシアは1992年当初、独立国家共同体(CIS)諸国の独立とともに、CIS諸国による統一軍の形成を目ざした。戦略核戦力を扱う戦略任務統一軍はできたが、通常任務統一軍はウクライナなどの反対で実現できず、CIS諸国の独自軍創設の動きのなかで、92年5月ロシア軍が創設された。ロシア大統領の最高諮問機関として復活された安全保障会議が安全保障政策の中枢機関に格上げされた96年7月、国防会議が安全保障会議の国防政策に関する重要決定実行の諮問機関として創設された(議長は大統領)。国防相の相次ぐ解任や軍の直面する財政的、社会的難問題のなかで転変を重ねた軍改革計画は、97年5月に任命されたセルゲーエフ国防相(前戦略任務ロケット軍総司令官)のもとで推進されている。軍改革は第一段階(1997~2000)には、戦略任務ロケット軍に宇宙軍、ミサイル・宇宙防衛軍を統合。防空軍と空軍の統合。地上軍総司令部を廃止し参謀本部に地上軍総局創設。8軍管区を6軍管区に統合し戦略正面とする。戦略正面の軍管区司令部に、所在ロシア軍とその他の部隊(国境警備軍、国内保安軍、民間防衛部隊など)を戦時に作戦指揮する作戦・戦略司令部の地位を付与。また各戦略正面に緊急対応部隊(海空軍を含む)の創設、配置。軍の定員を120万人に削減する。第二段階(2001~2005)には、空中・宇宙、陸上、海上の陸海空三軍制へ段階的に移行し、核抑止任務軍、航空防衛任務軍、通常任務軍の3任務軍体制とする。徴兵制は廃止。最終目標の装備の近代化については、装備導入の準備を終了させ、2005年以降毎年5%の割で装備を更新し2025年に完了する。注目されるのは軍改革の必要経費を兵器装備や軍資産の売却で支出しようとしている点で、軍改革の資金確保のために国をあげて兵器輸出にのりだす動きが強まっている。世界から注視されていた徴兵制廃止―志願制への移行問題は、多くの難問が予測されているため、兵力の早期大幅削減(画期的な50%削減)と引き換えに、一時棚上げされたものとみられている。さらに注目されるのは、ロシアの軍事戦略が核抑止力へと全面的に依存してきたことで、1997年5月に採択された「21世紀への国家安全保障の概念」(包括文書)では、国家のあらゆる脅威に対して、核兵器を基軸とした軍事戦略で対応すると規定している。ロシア軍の通常戦力弱体化を補うため、核の先制あるいは限定使用に道を開く核戦略を策定中とも伝えられている(アメリカCIA、1997年12月)。
ちなみに世界の核兵器の現状は、アメリカが戦略核弾頭7139(ICBM〔大陸間弾道ミサイル〕、SLBM〔潜水艦発射弾道ミサイル〕、爆撃機)、非戦略核弾頭950、その他の核弾頭5000(予備)、ロシアがそれぞれ7500、3200、8000~1万(予備)、ほかに戦略防衛核兵器1200、フランスが449(戦略核弾頭のみ=SLBM、爆撃機)、イギリスが260(戦略核弾頭のみ=SLBM、爆撃機)、中国が275、120、予備なしとなっている(『ブレティン・オブ・アトミック・サイエンティスツ』1997年2月現在)。
ロシア軍の性格そのものが「党の軍隊」から「国家の軍隊」へと変わるなかで、いまなおロシアは、あくまでも西欧に対抗できる軍事力整備に努め、かつての「世界大国」としての地位回復を目ざすのか、それとも地域紛争対処に重点を置く軍事力を整備し、しばらくは西欧に対する「地域国家」の地位に満足するのか、その間で揺れているともいえる。
[林 茂夫]
『ジャック・ウォディス著、土生長穂・河合恒生訳『クーデター――軍隊と政治権力』(1981・大月書店)』▽『佐藤栄一編『政治と軍事――その比較史的研究』(1978・日本国際問題研究所)』▽『大平善梧・田上穣治監修『世界の国防制度』(1982・第一法規出版)』▽『福島新吾著『非武装のための軍事研究』(1982・彩流社)』▽『藤牧新平著『現代軍隊論』(1977・東海大学出版会)』▽『中村好寿著『二十一世紀への軍隊と社会』(1984・時潮社)』▽『ジョルジュ・カステラン著、西海太郎・石橋英夫訳『軍隊の歴史』(白水社・文庫クセジュ)』▽『アルフレート・ファークツ著、望田幸男訳『軍国主義の歴史』全4冊(1973・福村出版)』▽『湯浅赳男著『革命の軍隊』(三一新書)』▽『藤井治夫著『ソ連軍事力の徹底研究』(1982・光人社)』▽『岩島久夫編・訳『アメリカ国防・軍事政策史』(1983・日本国際問題研究所)』▽『宍戸寛著『人民戦争論』(1969・オックスフォード大学出版局)』▽『平松茂雄著『中国の国防と現代化』(1984・勁草書房)』▽『(財)史料調査会編『世界軍事情勢1998年版』(1998・原書房)』▽『大江志乃夫著『天皇の軍隊』(1982・小学館)』
国が管理運用する武装集団をいう。広義には国際法上交戦権を有するもので,正規の陸,海,空軍のほか,民兵,地方人民の蜂起したもの,軍艦に変更した商船を含み,責任ある指揮者の指揮のもとに,遠方から識別しうる標識を有し,公然と武器を携行し,戦争法規を遵守するもの,とされている。戦時には海軍の指揮下に入る沿岸警備隊,社会主義諸国における国境警備隊,主として国内治安に任ずる内務省軍隊あるいは保安隊など軍隊組織をとるものも軍隊に準ずる。ゲリラ,便衣隊(中国において平服のまま敵の後方攪乱(かくらん)などを行った一種のゲリラ部隊)等は,一般人民と識別しがたいため,交戦権を有するかどうか,したがって軍隊か否かは議論の生ずるところである。一般には,陸,海,空の武装兵力をいい,最も狭義には,軍関係の官庁,学校,工作庁,研究所などを含まない部隊をいう。軍隊の任務は国の防衛にある。平時には外交の後ろ盾として,国益の擁護,警備,災害救護,治安維持にあたる場合もある。以下,軍隊の歴史を概観し,軍隊の特性,組織構成等について記述するが,あわせて〈軍制〉の項目も参照されたい。
軍隊は国家社会の組織の変遷および兵器の進歩に伴って大きな変化をとげた。また軍隊の組織や機能が,国の体制に影響を及ぼしたこともある。原始社会では戦闘員と非戦闘員の区別はなく,老幼婦女子を含むすべてが戦闘に従事した。その後,人間の集団生活はしだいに大規模となり,社会生活の複雑化,分業化がすすみ,戦闘用具の発明と進歩に伴い青壮年男子が戦士としてしだいに専門化し,やがて国家の成立と強大化に伴い職業的軍隊となり,傭兵(ようへい)が出現し,市民的軍隊と併存した。帝政ローマ時代には,傭兵がしだいに多くなり,ローマ市民の軍隊としての性格がうすらぎ,ローマは衰退の道をたどった。10世紀ころにはヨーロッパでは,騎兵が主兵となり,封建社会制度のもとで職業的世襲的騎士団が軍隊の中核となって,十字軍の遠征時代に最盛期を迎えた。14~15世紀に大砲や小銃が出現し,その威力が増すにつれて騎士団の勢力は衰え,封建制度に代わって中央集権的国家が誕生した。この国家は,対外的にも対内的にも強力な軍隊を必要としたが,それらは主として職業軍人と傭兵とから成り立っていた。1789年のフランス革命,それにつづくナポレオン戦争を契機として,ヨーロッパ各国には国民に基礎を置く軍隊が生まれ,傭兵に比べ精強な戦闘力を発揮した。フランスは1793年に徴兵令をしき,プロイセン,イタリアなど大陸諸国がこれにならった。イギリスおよびアメリカは,戦時を除き志願兵制度によっていた。
日本では,古くは天皇に軍事上の実権があったが,9世紀ころから唐の制度にならって六衛府などを置き兵制をととのえた。その後,いわば世襲的な軍人である武士が生まれ,軍事の実権は武士階級の握るところとなり,鎌倉時代以降は武士の棟梁は征夷大将軍または執権として,天皇から政治上,軍事上の実権を委任されることになった。この武家政治の末期,江戸時代には将軍のもとに諸侯があり,封建体制のもとに各地方の軍事と政治をつかさどった。武士は軍人であると同時に行政官あるいは司法官でもあった。江戸時代は平和が200年余りもつづき,軍隊としての編制,装備,戦術等についてはなんらの進歩もなかった。この間ヨーロッパでは戦乱が相次ぎ,15世紀の大航海時代にはじまり,海外発展,植民地の争奪が行われ,科学技術の進歩と相まって軍事科学および技術は急速に進歩し,東洋ないし日本のそれらに比べ格段の進歩を示すにいたった。19世紀,ロシアは北から,イギリスは南から,アメリカは東から,その軍艦が相次いで日本に来航して開国を迫ったとき,日本はなんらの有効な対策をとることができず,その結果,軍備の刷新,新しい洋式軍隊創設の必要性を痛感した。幕府は混乱のうちに倒れ,明治維新とともに近代的軍隊の創設がはじめられた。幕末,洋式軍事技術はまずオランダに学び,維新後,陸軍はフランス,のちにドイツに,海軍はイギリスに範をとった。1873年には徴兵令が施行され,国民的軍隊の基礎が築かれた。はじめは百姓兵とあなどられていたのが,西南戦争において士族から成る西郷軍を破り,新しい軍隊の真価が認められ,新政府の基礎は軍事面からも固められた。そして日清,日露の戦争には,清国とロシアの朝鮮支配の意図をくじき,日本の軍事力整備の成果を内外に示した。また初期には,国の近代化にも貢献した。しかし,その後統帥権の独立は軍に対する政治の優位を不明にさせ,軍の政治干渉を招き,また2度の戦争の結果,大陸に密接な利害関係をもつようになったことから,軍事力の行使を伴う積極的大陸政策を強行することになり,日中戦争から太平洋戦争へと突入するにいたり,完敗して日本の軍隊は解体された。1950年,朝鮮戦争の勃発と占領軍の朝鮮への派兵に伴い,その空白を埋めるためまず警察予備隊が,次いで保安隊が創設され,現在では陸,海,空の自衛隊とこれを統轄する防衛庁がある。自衛隊については,日本国憲法に違反する存在とする説と,自衛のためなら戦力の保有はできるとの説や,自衛隊は戦力のない軍隊であるから合憲であるとの説がある。
軍隊の主任務は,戦闘によって敵を殺傷破壊して戦略目的を達成し,それによって国の政治目的達成に寄与し,あるいはその潜在力によって戦争を抑止し,対外政策を支援することにある。このように,軍隊の機能は暴力(殺傷破壊力)の行使またはその潜在力によって発揮されるので,国の他のあらゆる機関がその権力の行使にあたって法律に基づいて行われるのとまったく異なる。軍隊の外敵に対する力の行使を規制するものは,国の戦争目的,国際法と兵術上の原則である。国内法としての各種の戦争法規があるが,それは国際法を遵守するためのものである。さらに戦争様相の変化は,現存する国際法を無効とする傾向をみせている。核の使用,無差別な都市攻撃,無制限潜水艦戦およびゲリラ戦は,古典的な戦争法規においては違反とされるわけだが,従来の戦争で使用されてきたばかりでなく,今後もそのような戦争が行われないという保証はない。兵器の進歩は,兵術の原則を変えるまでにいたってはいないとはいえ,その適用の様相をはなはだしく変えつつあって,今後どのような戦争が行われるかは,交戦両者の力の様相いかんにかかっている。国際連合を中心に行われている軍縮ないし軍備管理の努力も,戦争の防止はもちろん,その規制に実効をあげているとはいいがたい。戦争の総力戦化は無制限的性格を強め,その両極端は核全面戦争とゲリラ戦であって,一般の人民を武力戦の渦中に巻き込み,原始時代同様,人民総武装--軍隊化の傾向をたどり,そのような点では軍隊の特色をうすめている。
前述のように軍隊が一般行政機関と異なる機能をもっているため,軍の指揮運用に関する命令は軍令として(国によってその程度は異なるが)一般の行政命令と別個の組織を通じて行われる。ふつう,国の元首は,陸,海,空軍の総司令官として国の最高統帥者であり,行政機関とは別個の幕僚機関(参謀本部,軍令部,作戦部,統合幕僚部……)を通じて最高統帥を実施する。しかし最近,戦争様相の総力戦化に伴って,いわゆる統帥の独立の範囲は狭められつつある。多くの場合,戦争指導は国防会議や戦時内閣等によって行われ,統帥事項もそのうちに含まれる。とくに宣戦布告のない不正規戦争を常態としている第2次世界大戦後の戦争では,政治の作戦に対する干渉は作戦計画や作戦実施の細項にわたる場合があり,ベトナムにおけるアメリカ敗退の一因もここにあるとの意見もある。
さて,作戦に対する政治の干渉の程度は古来きわめて困難な問題を含んでおり,戦時においても軍隊の運用は政治に従属すべきであるが,戦闘に敗れ,作戦上の目的が達成できなければ,政治目的の達成ができない場合が多いことも議論の余地がない。軍隊の国内的特性はさらに複雑であり,議会制民主主義国では,軍隊は直接,あるいは間接的に,国民から選ばれた文民たる首長の指揮統制のもとにある,いわゆるシビリアン・コントロールが確立されている。しかし,これは西側先進国にとどまり,ラテン・アメリカ諸国ではクーデタないし軍部の意向によって政権の交代が行われ,アジア,アフリカの新興国の多くは軍部独裁的な体制をとっており,軍隊は対外防衛よりも国内の政治手段に利用されている。社会主義諸国では,党軍的な色彩が濃く,国内および社会主義圏内の体制維持の任務をもっている。
兵器の進歩,宇宙空間にまで及ぶ戦場の広範囲化,核戦争からゲリラ戦にいたる戦争様相の複雑多様化等のため,軍隊の技術化,専門化の傾向が著しい。また,とくに核ミサイル等の発達による奇襲の潜在的可能性は,戦略核部隊のような常時の臨戦体制の必要を生み出した。それと同時に,主として核兵器による大破壊を回避するため,戦争を抑止しあるいはエスカレーションを防止するために政治が軍事に介入する度合が,最高統帥ばかりでなく,危機の段階から戦争の全期間を通じ軍隊の下部機構にまで及ぶ傾向が生じつつある。党軍的性格をもつ社会主義諸国では,軍隊の戦闘単位にまで政治将校が配員されており,ベトナム戦争においては,アメリカ軍においても間接的ながらそのような傾向がみられた。戦後のもう一つの特徴は,軍隊の国際化の傾向であり,国際連合軍,NATOやワルシャワ条約などのような地域的な集団保障に基づく統一軍,日米,米韓などのような2国間の安全保障体制等が,世界の主要な地域にはりめぐらされ,さらに武器援助や売買が世界的な規模で行われているため,一国の軍隊は国際的な性格を強くしつつある。
→海軍 →空軍 →陸軍
執筆者:関野 英夫
軍隊の指揮権は通常,最高統率者である国家元首がもつ。社会主義諸国のなかには,共産党の最高責任者に指揮権をもたせ,また軍隊内に軍事委員を配置して党による指導を作戦指揮と並列している国もある。最高統率者のもとに国防部(日本では防衛庁)が置かれる。国防部は最高統率者を軍事面で補佐する機関であり,通常は,最高統率者の戦略上の決定を具体化して軍隊に実行を命じ,これを指導監督する。実力部隊である軍隊は通常,陸,海,空の三軍から成るが,国によってはこのほかに海兵隊をもち,かつてのソ連は防空軍,戦略ロケット軍を独立した軍種としていた。陸軍の諸兵科統合の基本作戦部隊は師団である。師団は歩兵(狙撃),戦車,機械化,空挺等の種類があり,山岳師団をもつ国もある。国によっては,師団を小型にした旅団をもって基本作戦部隊としているところもある。大軍では,2~5師団をあわせて軍団を,さらに2~5軍団で軍を編成する。戦域ごとに方面軍司令部を置く国もある。方面軍司令部は軍の上部機構で,通常,海,空の部隊もあわせて指揮する。海軍の戦術単位は戦隊である。戦隊には,航空戦隊,水雷戦隊,潜水戦隊,輸送戦隊等各種あり,軍艦2または航空機2隊以上で構成される。混成の戦隊もある。旧日本海軍には陸戦隊があった。旧ソ連ではこれを海軍歩兵と呼び,アメリカ軍は海兵隊として独立した軍種としている。艦隊は,数個の戦隊をあわせ指揮する部隊である。艦隊をあわせて連合艦隊を編成することもあり,最近では空母を中心とする機動部隊を設けることもある。空軍の基本部隊は戦隊であり,単一航空機を20機前後保有する。戦隊数個をあわせて航空師団を編成することがあり,さらに2師団以上をあわせて航空軍を編成することがある。第2次大戦までは多くの国々は平時編制と戦時編制とを区別していたが,現在では即応態勢を重視することから,平時においても戦時に準ずる編成をとっているところが多い。
兵員の補充には,志願兵制度と徴兵制度がある。外国人の傭兵は,イギリス軍のグルカ兵(ネパールの兵)や途上国の教官など一部に残っているが,ほとんど姿を消した。大陸諸国は18世紀末から徴兵制を採用していたが,海洋国であるイギリス,アメリカは,海洋によって防護されているという利点と強力な常備軍は国民の自由を圧迫するという伝統的な観念から,平時は大きい陸軍をもたず,戦時を除いては志願兵制を原則としている。徴兵制は,一般兵役義務に基づく国民的な軍隊を編成することを目的としたもので,兵力の急速な増加にも応ずることができる。志願兵制は長期服務を可能とし,技術部隊に有利である。これらを勘案して,徴兵制をとる国でも志願兵制を併用するのがふつうである。とくに海,空軍は伝統的に志願兵制を主体としている。自衛隊は全志願兵制である。
陸軍は,兵員をその機能によって兵科(職種)に分ける。兵科は,歩兵,騎兵,砲兵,工兵のほかに戦車兵(機甲兵),航空兵,防空砲兵(高射砲兵),通信兵等があり,これらを戦闘兵科といっている。輜重(しちよう)兵はウィルヘルム1世(在位1861-88)の時代に生まれ,補給支援を担当したので支援兵種と呼ばれた。近代戦は補給の戦いであるといわれるほど兵站(へいたん)支援が重要となってきたので,第2次大戦ころから輜重兵はその機能を細分し,補給,衛生,整備,輸送等の兵科になった。また兵器の進歩は多くの技術兵科を生み,通信,施設,武器等の兵科が設けられた。軍隊の管理が複雑化するに従い,戦務支援の兵科が必要となり,憲兵,総務,会計,法務等の兵科ができた。このほか婦人兵を統合する婦人兵科(WAC(ワツク))がある。特殊なものとして,国によっては鉄道兵,山岳兵,従軍僧(従軍司祭),音楽兵(軍楽隊),調理兵などがあり,〈情報〉を兵科として扱う国もある。海軍や空軍も陸軍と同じような兵科の機能が必要であるが,兵科区分はせず,特技によって職域を定めることが多い。たとえば海軍では水上艦,潜水艦,航空等,空軍では爆撃,戦爆,偵察,通信,輸送,航法等である。このほか陸軍と同様,兵站,技術,および戦務支援の職域が必要であることはいうまでもない。
執筆者:塚本 勝一
軍隊は厳正な秩序を維持し指揮統率を容易にするため,法制によって階級を定め,それぞれの階級に伴う権限や待遇を保障している。軍隊以外の団体,たとえば警察,消防隊でも階級を設けているが,軍隊は戦闘を主とする武装集団であるので,とくに階級が重視される。
軍隊は他の組織体と同様に,その編制には職階とそれに充当する人員数を定めるが,さらに,すべての軍人にはそれぞれ階級を付与している。この階級は官等,等級,あるいは官階などと呼ばれるもので,最高指揮官から一兵にいたるまでの序列を定めたものである。近代軍では官と職を明確に区別し,しかも密接に関連させて,指揮系統を確立している。したがって下級者,下級職にある者が上級者,上級職にある者の命令指示に服従することが,軍階級制度を維持するうえで最も大切である。軍人は一定の勤務年限と先任順によって,一階級ずつ進級するのが一般である。しかし有能な者,功績のあった者には進級をはやめるとか,二階級進級の特別措置がとられる。
軍隊は,幹部である将校,下級幹部である下士官,軍の大部を構成する兵士から成る。古代と中世における軍隊指揮官はおおむね貴族であり,職業的将校として育つ余地はなかった。軍階級制度のみられるのは17世紀中ごろ,封建制が崩壊し王制常備軍が出現してからである。三十年戦争にあたり,スウェーデン王グスタブ2世は連隊以下各部隊指揮官を定めた。戦いにおいては王は野戦軍の大将であり,その下に貴族の中将があり,これが貴族で編成する騎兵を指揮した。歩兵は職業軍人が指揮し少将と呼ばれた。戦いが終わり野戦軍が解散されると,中将,少将はもとの常設連隊将校制にもどった。しかしその後,軍隊の規模拡大とともに,ますます多くの指揮官が必要となった。やがてフランス軍隊には元帥の位が定められたが,これから漸次,公式の恒久的な階級に発展し,18世紀末には将校を一時的な職務によって識別せず,階級制によって固定するようになった。フランス革命から将校の資格,任命は各国ごとに多様化した。フランスでは,貴族出身者ばかりでなく下士官から昇進する者が多くなり,また産業革命による武器の進歩により,技術・通信関係の将校が生まれた。アメリカの将校任命はきわめて民主的に実施され,ドイツでは地主の子弟が将校の大部を占める優秀な将校団をつくりあげた。帝政ロシアでは将校の大部を貴族が占めたが,革命後,革命家から指揮官を採用し,軍をプロレタリアートと農民で組織した。そして革命前の官を廃止し,職務の名称で階級を代用したが,1935年,階級としての官を復活した。中華人民共和国では1955年以来,軍には官による階級があった。身分差をなくする趣旨により65年これを廃止したが,最近ではふたたび階級制を復活することが検討されている。
今日,ほとんどの国では,将校は広く一般国民のなかから採用している。階級も,国によって細部は異なるが,尉官(少尉から大尉まで。小隊長・中隊長級),佐官(少佐から大佐まで。大隊長・連隊長級),将官(少将から大将まで。旅団長以上)の3段階に大別される。将官には准将(もしくは代将)からはじまるものがあり,また元帥を大将の上の階級とするものと,これを単に称号とするものとがある。この階級を表示する記章として階級章があり,また階級によって軍人の制服,制帽などを異にする服制を定めている国が多い。しかし基本的には,各国の軍階級制度に共通した上下関係が定められており,また陸,海,空軍の階級もそろえられている。したがって各国連合作戦,陸海空の統合作戦の場合にも,上級者が指揮をとるように連合軍や統合部隊が編成される。
執筆者:森松 俊夫
政治的意味での軍隊とは,警察とならんで国家権力の強制的要素の中核をなす人間集団である。警察がもっぱら国内での秩序維持にあたるのとは異なり,軍隊は国家防衛と対外戦争を主たる任務とするが,政治的国家的危機においては,国内治安にも決定的役割を果たす。西欧近代の市民革命から生まれた国民国家では,国家活動の正統性根拠を国民自身の合意に求め,国家活動の中核としての軍隊も広く国民の間から兵士を募る国民軍となり,軍隊は国民主権と法の支配に服すべきだと観念されている。しかしこのことは,軍隊がつねに〈政治的中立〉であり,政治過程において秩序維持の消極的機能のみを果たすということを意味しない。すでにドイツや日本など後発資本主義国の上からの近代化過程では,近代軍隊の創出が国民国家形成の枢軸的位置を占め,経済発展において軍需が重要な意味をもった(〈殖産興業〉と〈富国強兵〉の併行)にとどまらず,徴兵制と軍事教育が政治的イデオロギー的国民統合の中核にすえられた。君主主権と法治主義のはざまでは,軍隊への統帥権問題が生じ,軍隊への議会統制の脆弱(ぜいじやく)性は軍隊指導部(軍エリート,軍部,軍閥)の政界,官界,財界との癒着と相まって,政治過程全体での軍支配の傾向(軍国主義化)を生み出した。
20世紀に入り国民国家を形成するアジア,アフリカ,ラテン・アメリカ諸国においては,いくつかの国々では植民地からの民族的解放=独立そのものにおいて軍隊が決定的意味をもち,独立後も多くの国で軍事政権が樹立されて,軍部独裁が政治の基軸となり,政権交代は軍隊によるクーデタとなる場合が多い。中東諸国では1945年から72年までに83回のクーデタおよびクーデタ未遂がおこり,アフリカでは1963年から68年の6年間で32回,ラテン・アメリカ17ヵ国でも1943年から63年で68回,という記録がある。いわゆる〈第三世界〉の発展途上諸国では,このように軍隊の政治的役割は明瞭である。高度に発達した資本主義国においてさえ,アメリカの政治を社会学者C.W.ミルズが〈パワー・エリート〉支配としてとらえ,ビッグ・スリー(将軍,企業最高幹部,トップ政治家)の一つに軍隊を挙げ,経済学者J.K.ガルブレースが〈軍産複合体〉の危険に警告を発したように,〈軍隊の中立性〉にはたえず疑問が投げかけられている。社会主義諸国の場合も,ロシア革命の赤軍,中国革命の人民解放軍からキューバ,ベトナムにいたる革命軍が体制変革の鍵を握った例のみならず,革命後もフルシチョフ政権時のジューコフ元帥の役割や毛沢東死後の鄧小平体制樹立時の軍隊の支持にみられるように,日常的政治体制の背後で影響力を行使している。西ドイツで軍人の公務員労働組合加盟が認められ,オランダでは徴募兵連盟という軍隊内左翼組織さえあるように,軍隊の政治的あり方はそれぞれの国のそれぞれの歴史的段階で異なるが,とりわけ核戦争の脅威のもとにおいては,社会体制や国家のちがいをこえて,軍隊への国民の民主主義的統制(文民統制すなわちシビリアン・コルトロールに具体化される)が焦眉の課題となっている。
執筆者:加藤 哲郎
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…戦争において戦闘員と非戦闘員を区別し,後者に対する直接攻撃を禁止する原則は,戦争法の基本原則の一つである。戦闘員とは一般に交戦国の軍隊(正規軍のみならず,一定の条件を満たす民兵隊,義勇隊,組織的抵抗運動団体,さらに群民蜂起の構成員を含む)の構成員を指すが,そのうち衛生要員や宗教要員等軍隊を援助するために所属する要員は除かれる(1907年ハーグ陸戦規則3条,1977年第1追加議定書3条2項)。戦闘員は敵対行為に直接参加する権利を有する。…
※「軍隊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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