デジタル大辞泉 「郷学」の意味・読み・例文・類語
ごう‐がく〔ガウ‐〕【郷学】
「―にありて、学童となりし時に」〈中村訳・西国立志編〉
2 江戸時代から明治の初年にかけて、藩士の教育や庶民の教育のために各地に設けられた学校。岡山藩の
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
近世から近代初期にかけての教育機関の一つ。藩学(藩校)とも寺子(小)屋とも異なる教育機能を示す学校である。郷学所,郷校,郷黌などともいう。明治の〈学制〉頒布後に設立された小学校にその機能を継承したものが多い。郷学には三つの形態がある。(1)藩学と同じような性格のものであり,領内の僻地にある藩士を教育するために,藩みずからが藩侯の支族や家老などの知行地にたてた家臣の学問所である。(2)藩主・旗本・天領の代官などが直接か間接かに設立に関係してできたもので,その対象とするものは一般民衆である。(3)対象は(2)と同じように一般民衆だが,その設立者が町や村の民間の有志やその集りであり,設立にあたって幕藩当局の保護や監督をほとんど受けていないものである。
(1)は準藩学の色彩が強く,その内容や学習規則とも藩学に準じてつくられている。このうち藩がみずから経営したものは,領内の不便なところに藩士を駐屯させた藩や,要害の地に飛地をもった藩などに多い。とくに天明~享和年間(1781-1804)以後になって多く出現する。奥羽・中国・四国・九州のように,大藩の多い領内や交通の不便な地方では,統治上,この種の郷学が発達した。(2)は,その盛行期に入るのは,文化年間(1804-18)以後である。これは封建的危機が深刻化するにしたがって,その回避をはかるための領主の教化政策と密接に関係してくるようになり,民衆教化を意図する教諭所的性格を兼ねるにいたる。(3)は,従来(2)と混同して考えられていたが,1717年(享保2)に設立された摂津国平野郷含翠堂に典型的にみられる。この郷学は,農民的商品経済の早期に発達した地域で,それに伴う封建社会の矛盾の激化を感知した有志の富民層が中心となり,この事態に対処するために,知識的不平等におかれた民衆の啓蒙を意図して民間に発生した文化サークル運動から出発して,恒常的な学校設立の活動となったものである。
執筆者:津田 秀夫
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郷校とも。江戸~明治初期の教育機関の一つ。江戸初期の岡山藩の閑谷(しずたに)学校,1717年(享保2)設立の摂津国平野郷の含翠(がんすい)堂などが著名。設立が盛んになるのは19世紀に入ってからで,明治初年にも多数創立された。郷学の性格は多様で,藩校の分校的存在,藩営による庶民教育機関,庶民の組合的組織による地方学校の3種に大別できる。教育史的に注目されるのは,幕末・維新期に爆発的に増えた3番目の地方学校で,明治期の小学校の短期間での多数設立の一母体となったとされる。ただしこの種の郷学も性格・教育内容は地域によって多様で,分布度に濃淡も多く,いまだ未解明の領域である。
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…これは,市井の学者による批判を受けながらも,幕末の国学,蘭学の高揚を迎えるまで権威を保ち続けた。江戸時代の学校としては,このほか,藩校(藩黌,藩学),郷学,私塾,寺子屋などがあり,戦乱のない社会で,それぞれ発展した。藩校は各藩が藩体制強化のため武士の子弟に儒学と武道を教授することを目的として設置された。…
…岡山藩領内の藩設立の郷学校。1666年(寛文6)藩主池田光政は領民教化の一環として和気郡伊里村閑谷(現,備前市)の地に学校設立を計画し,68年手習所を開設したのに始まる。…
※「郷学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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