阿庄(読み)あだのしよう

日本歴史地名大系 「阿庄」の解説


あだのしよう

康和四年(一一〇二)の勧学院政所下文写(栄山寺文書)に「可早令停止多武峯妨、任官省符并国司免判等、領知阿庄田地事」とある。これによると、阿庄は栄山寺領で、もと藤原豊成の施入田といわれているが(→栄山寺領、のち官省符荘になったと考えられる。当庄の坪付は、同下文写では、阿条四里三坪・四坪・一三坪・一四坪・一六坪・二四坪、同二里二坪・三坪、同四里一坪、面積は六町四段余となる。これら坪々の田畠大部分は永延三年(九八九)の太政官符案(色川本栄山寺文書)にみられるものであるが、面積の拡大がみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報