デジタル大辞泉
「鹿角市」の意味・読み・例文・類語
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鹿角市
かづのし
面積:七〇七・一二平方キロ
県北東端部、米代川上流域の南北に細長い鹿角盆地と、それを取り巻く山地からなる。市域は秋田県最大だが、九〇パーセントは奥羽山脈に連なる山地で、平地は南北一五キロ、東西一―三キロの河川流域部にすぎず、積雪期間も長い。森林・鉱山資源には古くから恵まれている。鹿角市は旧鹿角郡域の約八〇パーセントを占めた花輪町・十和田町・尾去沢町・八幡平村が昭和四七年(一九七二)合体成立した市で、現鹿角郡は小坂町一町となった。また鹿角市・鹿角郡域は一体として古代―中世―近世を通じ、秋田県内でただ一ヵ所、陸奥国に含まれ、同時に現岩手県二戸郡安代町の田山地区を含んでいた(したがって本項では鹿角地方全体について言及する)。
この地方の記録上の初見は「三代実録」元慶二年(八七八)七月一〇日条に元慶の乱の賊地の一つとして「上津野」をあげる。「鹿角」の文字を用いた時期は不明であるが、米代川とその支流小坂川が南北から流れて盆地北部で交わり、その形が鹿の角に似ていることからきたといわれる。鹿角郡の設置時期は不明だが、文保二年(一三一八)の鎌倉幕府下知状(安保文書)に「陸奥国鹿角郡内柴内村事」とあり、おそらく平安末期、新郡の形成される過程で成立したものであろう。なお「吾妻鏡」文治五年(一一八九)九月一一日条は、平泉の藤原基衡が仏師雲慶に送った珍品を載せるが、その中に「希婦細布二千端」とある。鹿角の毛馬内地方は細布の産地で、伝承地名として「狭布の里」ともよばれており、「希婦」は鹿角地方をよんだとも思われる。
〔原始・古代〕
縄文時代遺跡はおよそ二〇〇ヵ所(うち鹿角市約一五〇ヵ所)あり、盆地周辺の高台にくまなく分布する。ほとんどが後期・晩期に属し、中でも大量の土器と土偶・石棒・石皿・石匙などの遺物を伴う大湯環状列石が知られる。これと類似する石組遺跡は八幡平の玉内にもある。
弥生時代のものと思われる遺跡が柴内・尾去下平に一ヵ所ずつあり、それに連なる土師器・須恵器を含む遺跡として柴内横長根・平元源田平・用野目川向・柴内赤長沼等があげられる。錦木申ヶ平・枯草沢・尾去沢東在家からは勾玉や太刀を伴った後期古墳が発見されている。古墳は奈良・平安期のもので形式は畿内の流れをくみ、いわゆる古墳時代のものではない。
古代は弥生時代遺跡や土師器片・須恵器片の分布にみられるように、文化圏は奥南・関東地方と異質ではないが、律令国家の北方支配は多賀城(現宮城県)、秋田城(現秋田市)、胆沢城(現岩手県)を結ぶ線が北限で、鹿角地方はその統制下に服していない。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
鹿角〔市〕
かづの
秋田県北東部,花輪盆地にある市。奥羽山脈の西麓にあたる東部は,青森県と岩手県の両県に接する。1972年花輪町,十和田町,尾去沢町の 3町と八幡平村(→八幡平)が合体して市制。南北に細長い市域で,中心市街地の花輪はかつて盛岡藩に属し,中野氏の城下町,六斎市が開かれた市場町として発展。毛馬内は津軽街道の交通の要地であった。米代川の支流,熊沢川の沿岸を除く大部分が林野地である。農村部では米,果樹を産し,畜産も行なわれる。かつては鉱業が盛んであった。尾去沢鉱山の跡地では観光化が進められている。北部の発荷峠一帯および南部の八幡平温泉郷は十和田八幡平国立公園に属し,湯瀬温泉,大湯温泉などの温泉がある。1月2日に行なわれる大日堂祭堂は国の重要無形民俗文化財で世界無形遺産。国の特別史跡大湯環状列石は 2021年,「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産として世界遺産の文化遺産に登録された。JR花輪線,国道103号線,282号線(津軽街道)などが通じ,東北自動車道の十和田インターチェンジがある。面積 707.52km2。人口 2万9088(2020)。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報