出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
村の東端、
享禄(一五二八―三二)の頃
黒川には善光寺があったといわれ、「小松邑誌」に「黒川 本尊阿弥陀如来、伝言信濃善光寺前仏ナリシヲ善光寺ノ僧宜通ナル者携来ルト、宜通ノ入定セル地モアリ宜通ノ位牌ニ治承元年(中略)善光寺ニ文明一八年ノ鰐口有リ」とあり、その鰐口の銘文には、
とあったというが、寺も鰐口も現存しない。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
新潟県北部、北蒲原郡(きたかんばらぐん)にあった旧村名(黒川村(むら))。旧黒川村は2005年(平成17)北蒲原郡中条(なかじょう)町と合併し市制施行、胎内市(たいないし)となり、胎内市の南部、胎内川の中・上流域を占める観光山村。胎内川扇頂(せんちょう)右岸の黒川地区が平地である以外は、飯豊(いいで)山地の谷底山村が主体。越後(えちご)の「燃ゆる水」(石油)の献上地といわれ、地名は黒い流れの川の意から発生したといわれている。近世は黒川藩(1万石)領。大正時代には山麓(さんろく)で黒川油田の開発も行われた。国道7号と290号が通じる。上流の胎内川ダムは、1959年(昭和34)の県営の電源開発工事で景勝地となり、また胎内二王子県立自然公園にも指定され、飯豊山の登山口にあたる。国民宿舎胎内パークホテルやスキー場があり観光化が進んでいる。
[山崎久雄]
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…陸奥国若松に藩庁をおいた藩。1589年(天正17)中世会津を支配した蘆名氏を破り,この地を領した伊達氏はまもなく去り,90年蒲生氏郷が90万石の領主として黒川の地に入った。黒川は15世紀後半から蘆名氏の城下町として発展してきていたが,氏郷は城と城下の本格的経営にのりだし,外郭を新設,郭内も整備,侍屋敷と町屋敷を画然と区別,郷里近江国蒲生郡若松の森にちなんで,この地を若松と改めた。…
…現在の福島県会津若松市の中心部。1189年(文治5)源頼朝の奥州攻めの勝利によって会津に所領を与えられた三浦一党の佐原氏は,のち蘆名氏を名のり,14世紀,直盛のとき小高木(現在の若松城跡)に館を造り,東黒川館と称し住したという。黒川を拠点に中世会津を支配した蘆名氏は,1589年(天正17)伊達政宗に滅ぼされ,政宗もまた1年余で米沢へ去った。…
※「黒川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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