日本大百科全書(ニッポニカ) 「ファン・ドールン」の意味・わかりやすい解説
ファン・ドールン
ふぁんどーるん
Cornelis Johannes Van Doorn
(1837―1906)
オランダの土木技術者。明治政府が雇用した外国人の一人。1872年(明治5)来日、土木寮雇の長工師(技師長)となる。来日してまもなく利根川(とねがわ)、江戸川の改修工事の計画立案のため全流を踏査、また日本最初の量水標を設置した。1878年には福島県猪苗代(いなわしろ)湖の疎水工事の設計を命じられ、翌1879年計画をまとめ、同年着工、3年間の工事ののち安積疎水(あさかそすい)として完工した。このほか仙台湾の野蒜(のびる)に新港を開設するために計画をたて、1878年に着工したが、1884年の台風により計画は放棄された。これより以前、1880年にファン・ドールンは離日、母国で土木技師として活動、アムステルダムで没した。
[内田 謙 2018年8月21日]