皇居内の旧西丸地区にある正門鉄橋の別称。皇居正門前の石橋(俗称めがね橋)を渡り,右折してまもなく,新宮殿の中門前の濠に架かっている。江戸時代には現在の皇居正門を西丸大手門,その前の橋を西丸大手橋と称したのに対し,西丸下乗門の手前に位置した関係で西丸下乗橋と呼ばれた。その名のとおり,登城の大名等はこの橋の辺で馬や駕籠から降りる規則になっていた。この橋は深く切り込んだ台地の両端にかけられているため,工法上,台地の途中に橋桁を構築し,その上にさらに橋を組むという二段造りの構造になっており,そのため俗に二重橋と呼ばれた。もと木橋であったが,明治宮殿の造営に際し,ドイツ人のウィルヘルム・ハイゼの設計とハルクルト会社の製作によって1888年鉄橋に架け替えられ,さらに昭和宮殿の造営に際して1963年に改架された。なお,俗に正門石橋を二重橋と称し,また石橋と鉄橋の二つを合わせて二重橋と称しているが,これは誤り。
執筆者:川田 貞夫
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今日の皇居の正門を入ってから最初に渡る鉄製の橋。江戸城のころ、ここには木造橋が架けられていたが、濠(ほり)から架橋の位置がかなり高かったため、下方にまず橋脚を立てて橋桁(はしげた)を渡し、さらにこの上からまた橋脚を立てて橋桁を渡して、高い橋をつくった。この橋は外見上二重にみえたので二重橋の名がおこった。1883年(明治16)から西之丸での宮殿造営が始まり、西之丸大手門が皇居の正門となって、西之丸下乗橋(げじょうばし)の名があった二重橋も鉄橋に改められた。設計はドイツ人のウィルヘルム・ハイゼで、1888年に完成したが、二重橋の名はそのまま残った。なお、現在の二重橋は1964年(昭和39)の新宮殿造営の際に架け替えられたものである。皇居正門前に二連アーチの石橋があり、その背後にこの鉄橋があるので二重橋というとするのは俗説で、誤りである。
[工藤圭章]
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出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報
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