防長風土注進案(読み)ぼうちようふうどちゆうしんあん

日本歴史地名大系 「防長風土注進案」の解説

防長風土注進案(注進案)
ぼうちようふうどちゆうしんあん

四三六巻 萩藩

成立 天保一二年

分類 地誌

解説 萩藩が国郡志編修の資料と三て藩内全域の町村から注進させ、代官所が監修した村明細帳。大島郡宰判三〇巻、玖珂郡前山代宰判一三巻、奥山代宰判一六巻、熊毛郡上関宰判二四巻、熊毛宰判二一巻、都濃郡都濃宰判一九巻、佐波郡三田尻宰判七六巻、徳地宰判二〇巻、吉敷郡山口宰判三七巻、小郡宰判一八巻、厚狭郡舟木宰判三一巻、吉田宰判一六巻、美祢郡美祢宰判一二巻、大津郡前大津宰判一八巻、先大津宰判一三巻、阿武郡当島宰判一二巻、奥阿武宰判一九巻の三九五冊からなり、村名由来・竪横里数・村内小名・山川形勢・村内日請土地相・水懸り善悪水損旱損の別・肥し下草の多少・気候の寒暖植付物時節・田畠面積石高・御蔵入給領の別・租税額・御米蔵所在地・道路交通・御立山町数・給領御預山・地下合壁山・入会山野社寺境内山・河川橋梁・溝溜池戸口及職業別・在住諸士足軽陪臣・牛馬数・風俗の概要・産業の大概・物産・竹木・禽獣魚介・神社寺院・名所旧跡などに分類して詳述。巻尾に村内の物産と米銀の収計算をあげ、各村の生産に対する公課と、生計費の計算を収める。所載の事項中、統計的数値はおおむね天保一二年の計数である。他に三田尻宰判には古文書として防府天満宮古文書・防府一宮古文書・防府諸社古文書・防府国分寺古文書・牟礼阿弥陀寺古文書・防府東大寺領古文書(上司家・得富家・竹尾家)・防府諸寺古文書・防府宮市町兄部氏屋文書などが収録される。

活字本 山口県文書館編刊「防長風土注進案」二二冊

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改訂新版 世界大百科事典 「防長風土注進案」の意味・わかりやすい解説

防長風土注進案 (ぼうちょうふうどちゅうしんあん)

長州藩が天保改革を推進するため,領内の実態の把握を試み,全町村から差し出させた明細書。藩主毛利敬親(たかちか)は領内全域の町村に明細書の提出を求め,当職所に国郡志御用掛を置き,1842年(天保13)近藤芳樹にその編纂を命じた。本文395冊,古文書45冊。成稿の時期は同一ではないが,統計的数値は1842年のものが多い。その内容は村名由来,竪横里数,村内小名,山川の形勢,村内日請土地相,水懸り善悪水損旱損,肥し下草の多少,気候寒暖,植付物時節,田畠面積石高,蔵入給領の別,租税額,米蔵所在地,道路交通,山林,入会地,河川橋梁,溝溜池,戸口,職業別人数,在住諸士足軽陪臣,牛馬数,船数,風俗,産業,物産,竹木,鳥獣魚貝,神社寺院,名所旧跡など多岐にわたり,末尾に各町村の収支計算を示す。幕末期長州藩の社会・経済の動向を知る重要な史料。山口県文書館が22冊にまとめて刊行した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「防長風土注進案」の意味・わかりやすい解説

防長風土注進案
ぼうちょうふうどちゅうしんあん

長州(萩(はぎ))藩で編纂(へんさん)した地誌。463巻。1842年(天保13)の成立。同藩が天保(てんぽう)改革の一環として企画した「国郡志」編纂の資料として、藩内全域の町村から村明細を注進させ、代官所が監修して集成したもの。各項目は、村名由来、竪横(たてよこ)里数、村内小名(こな)、山川の形勢、村内日請(ひうけ)土地相、水懸(みずがか)り善悪水損・旱損(かんそん)の別、肥(こや)し下草の多少、気候の寒暖植付物時節、田畠(たはた)面積石高(こくだか)、御蔵入(おくらいり)・給領の別、租税額、御米蔵所在地、道路交通、御立山(おたてやま)町数、給領御預山、地下合壁山(じげがっぺきやま)、入会(いりあい)山野、社寺境内山、河川橋梁(きょうりょう)、溝(みぞ)溜池(ためいけ)、戸数及(および)職業別、在住諸士足軽(あしがる)陪臣(ばいしん)、牛馬数、風俗の概要、産業の大概、物産、竹木、禽獣(きんじゅう)、魚介、神社寺院、名所旧跡などに分けて編述してある。巻尾には、1842年ごろの村内物産、米銀の収支などの統計数値を載せる。ほかに三田尻宰判(みたじりさいばん)にのみ、防府(ほうふ)天満宮古文書などの文書を収載。原本は県立山口図書館所蔵。活字本は、本編21冊と別巻1冊が1961年(昭和36)から66年にかけて刊行された。

[長谷川成一]

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百科事典マイペディア 「防長風土注進案」の意味・わかりやすい解説

防長風土注進案【ぼうちょうふうどちゅうしんあん】

萩(はぎ)藩が町村ごとに提出させた明細帳を集成したもの。原題は《風土注進案》。本文395冊,古文書45冊。成稿時期は同一ではないが,統計数値は1842年のものが多い。藩主毛利敬親(たかちか)が天保改革を推進するために編纂を命じたとされる。内容は村名由来,竪横里数,小名,気候,田畑の反別・石高,租税額,山林,入会地,戸口,職業別人数,牛馬数,船数,産業,物産,社寺,名所旧跡など多岐にわたる。江戸後期の農村構造を知るうえで貴重。山口県文書館が22巻で刊行。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「防長風土注進案」の意味・わかりやすい解説

防長風土注進案
ぼうちょうふうどちゅうしんあん

周防,長門両国 (山口県) の地誌。『長防風土記』ともいう。 359冊。萩藩主毛利敬親天保の改革の一環として,天保 12 (1841) 年藩政の資料にするため諸郡の代官に命じ村々から提出させた報告書で,各町村は庄屋たちを動員して調査。1村1冊。村名の由来,村域,田畑の面積と石高,租税高,社寺,戸口および職種,牛馬数,山川橋梁,物産,名所旧跡などを収録。江戸時代末期の萩藩全体の実態を知るのに貴重な史料である。

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防府市歴史用語集 「防長風土注進案」の解説

防長風土注進案

 1842年に萩藩が作った地誌です。萩藩の各村の面積や産業、人口や風俗など詳しい様子がわかります。

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