風のエネルギーを利用してしごとに変える原動機で,自然力の利用としては水車と並んで古い歴史をもつ。この意味の風車は英語のwind wheelにあたる。製粉などの動力として風車を用いた設備をも風車と称するが,こちらは英語ではwind millと表現される。
風車も水車と同様に起源は明らかでないが,水平型(車軸は垂直。垂直軸風車)と垂直型(車軸は水平。水平軸風車)の二つの型式がある。一般に前者はオリエントで,後者はヨーロッパでみられる型であり,その起源は別系統と考えられる。中国に水平型風車が現れるのは13世紀以後であるが,アフガニスタンには早くも10世紀に存在した。これらの起源がチベットの風力駆動の祈禱(きとう)用円筒や,中国の仏教寺院で用いられた回転式の経蔵にヒントを得たものではないかという説があるが,確証はない。ヨーロッパではアレクサンドリアのヘロンの《気体学》にみえるアネムリオンが最古の垂直型風車といわれているが,単なる玩具にすぎなかったと思われる。
ほんとうの意味での風車の歴史が始まるのはイスラム世界,それもイランにおいてである。9世紀の歴史家タバリーの著作に,ウマル1世が644年にペリシア人技師に暗殺されるが,この技師が風力で動かす製粉機をつくれると主張したことが書かれている。10世紀になると,イスタフリー,マスウーディーやイブン・ハウカルのような信頼できる著者が,セイスタンの風車について述べている。彼らの記述から,セイスタンが乾燥した砂質地帯で,強い風がつねに吹きあれ,住民は風車を用いて揚水や製粉に利用していたことがわかる。おそらくこのあたりが風車発祥の地で,ここから東西に影響が及んだものと考えられる。この風車の構造の詳細は1300年ころの地理学者ディマシュキーの《陸と海のふしぎ》に図解されている。そこに書かれている説明によれば,この風車は水平型で隔壁で囲まれた2層の建造物からなり,上部には製粉用のひき臼,下部は12本ないし6本の帆からなる回転翼があった。風は一方の側のみから入る一種のタービンである。中国の風車も基本的にはこの型であるが,回転翼を詰め開きが可能な縦帆式にするという独自なくふうがなされ,主として竜骨車の原動機として使用された。
ヨーロッパの風車は12世紀ころに現れるが,その直接の起源は不明である。イスラムからの伝播(でんぱ)をいう説もあるが,出現のときから垂直型であること,さらに垂直型では,製粉などの動力として利用する場合,必ず歯車によって回転の軸を変えなければならないこと,風の利用の効率が垂直型のほうがよいなどという点で根本的な相違があるので,独立の発展と考えるのが妥当であろう。風車は水車と違って,装置全体を風の向きにあうよう回転する必要があり,そのための二つの型式がくふうされた。一つは13世紀ころから使われ始めた箱型風車で,これは機械部分を箱に入れて支柱にのせるものだが,風の吹く向きに向けるとき,重い装置全体を動かす必要があり,ために大きさに限界があった。もう一つは14世紀初めから現れた塔型風車で,これは機械部分を石造の塔の中に収め,翼車の頂部だけが風の吹く向きに回るようにしたものであった。
12世紀に風車がある程度の社会的役割を果たしていたことは,ローマ教皇ケレスティヌス3世(在位,1191-98)が風車に10分の1税を課したことからもうかがえる。13世紀になると,北西ヨーロッパの平原地方に急速に普及した。14世紀には地中海方面へもしだいに浸透し,《ドン・キホーテ》に描かれたような風景を生むことになった。初期には主として製粉用に用いられたが,15世紀になるとオランダの低地を中心に排水用の利用が盛んになり,17世紀の絶頂期にはオランダ北部7州全部で約8000基の揚水用風車があったという。18世紀に入り蒸気機関が発明されると,J.スミートンらによる改良の試みにもかかわらず,しだいに衰微してゆき,19世紀に至ると一部の地域や職種を除いてほとんど姿を消すことになった。
執筆者:平田 寛
風車は,エネルギー源としての自然風の風向風速が一定しないこと,また風がないときには使えないため,20世紀に入ると,小型の揚水用風車以外はほとんど用いられなくなった。ところが,1973年に起きた石油危機を契機に,再び風力など自然エネルギーが見直されるようになり,これとともに風車の利用も見直されつつある。最近の風車は主として発電用に開発されているが,直径が50m以上,出力は1000kW以上という大規模風車のほか,出力が数10kW級の中型風車を多数並べて発電するウィンド・ファームも建設され,商用電力網に接続して運転されている。
風車の形式には,風車の回転軸が地面と水平な水平軸風車と,回転軸が地面に垂直な垂直軸風車とがある。また作動原理からは,風車の羽根に作用する風の抗力を利用する低速風車と,揚力を利用する高速風車とに分けられる。オランダ風車,サボニウス風車などの低速風車は,羽根車の周速uと風速vの比である周速比u/vの値が小さく,風車により得られる実際の出力と風のもつエネルギーの比である出力係数Cpも低い。しかし,起動回転力が比較的大きいのが特徴であり,揚水用など低速で大きなトルクを要する用途に適している。一方,プロペラ風車,ダリウス風車などの高速風車は周速比が大きく,出力係数も大きい。このため風力発電に多く用いられているが,起動にやや難があるといえる。これら各種風車の特性曲線を一括して図1に示す。とくにプロペラ風車は,航空機用プロペラや翼の研究成果の蓄積により,技術的には最も進んだ段階にあり,とくに大型風車では,可変ピッチ翼を採用し起動トルクの増大をはかるとともに,風速に応じて回転数の制御を行い,かつ強風時には風車の羽根を風向と平行にするフェザリングにより抵抗を減少させている。図2には大型プロペラ風車の構造を示してある。
風車による風エネルギーの変換効率には限界があり,約60%を超えないことが知られている。また風車の出力は,その受風面積に比例し,風速の3乗に比例する。したがって,大出力を得るには受風面積の大きい大型風車とするか,中小規模の風車を多数用いることになる。また風速を増大させたり,風のエネルギー密度を高めるための種々のくふうもなされている。特殊な風車を使用して,効率よく出力を取り出そうとする高性能風車システムの試みは,各国の特許などにも多くのものがみられるが,実用化されているものは少ないのが実情である。図3は高性能風車システムの例である。ディフューザー・オーグメント方式は,ローター後方のディフューザー部で圧力の回復を早め,出力を増大するもの,チップ・ベーン方式はブレードの先端に設けたチップ・ベーンにより回転時に風車受風面を通る空気流量を増加するもの,ボルテックス・オーグメント方式は航空機の三角翼の前縁剝離渦を利用し,風のエネルギーを集中するもの,カウンター・ローテーティング方式は前後に重ね合わせたローターが互いに逆方向に回転し,発電機のローターとステーターをそれぞれの風車ローターにより駆動するもの,ジャイロミル方式は垂直に取り付けられた直線翼が風向に対し最適仰角をとりうるように,周回時にピッチを変化させるもの,上昇気流利用風車は太陽熱や排熱の上昇ダクト内に風車を設けたものである。
さて,風のエネルギー利用の歴史はきわめて古く,その用途は製粉,揚水,排水,製材,製紙,搾油,かくはん,そして発電など多岐にわたっていた。将来のエネルギー源の一つとして風力の再開発を考える場合の根本的な課題は,エネルギー密度の小さな風力をいかに効率よく収集するかということと,変動の大きなこのエネルギーをいかに安定化して使うかの2点に要約される。ここで風エネルギーの利用システムを収集サブシステム,変換サブシステム,貯蔵サブシステム,利用サブシステムの四つのサブシステムに分けて考える。風の運動エネルギーはまず風車により収集され,機械的回転運動に変えられる。この回転運動エネルギーを電気エネルギー,ポテンシャル・エネルギー,熱エネルギーなどに変換するのが変換サブシステムである。エネルギーはいったん貯蔵されたのちに,各種燃料の代替,電力および暖房用として利用される。また,大規模風力発電においては貯蔵を行わず,直接系統電力網に接続しているが,この場合には電力網を一種の貯蔵サブシステムと考えることができる。
風力の利用は上記の分野や形態に限定されるわけではなく,他の自然エネルギー,例えば太陽熱と風力の相互補完的な性質を活用したハイブリッド方式の利用システムも考えられている。今後,大規模な風力利用が行われるようになる場合には,その事前評価もたいせつである。安全性の問題以外にも,ブレードの騒音,低周波騒音,電波障害,冬季の着氷や着雪,局所気象への影響,さらには美観なども含めた公共受容性などを事前に評価しておくことが不可欠である。
執筆者:牛山 泉
子どもの玩具。紙,セルロイド,経木などでつくった車輪形のものに柄をつけ,風がこれに当たると回る。《嬉遊笑覧》に〈風車は漢名もおなじ〉とあるところから,中国から渡来したといわれるが,紙製のものが平安末期にはすでに存在した。室町時代には子どもの玩具として親しまれたことが小舞の一節からもうかがわれ,江戸時代に入ると新春の遊び道具の一つとなった。江戸雑司ヶ谷鬼子母神の参拝みやげとして五色紙製の風車が広く知られたが,この系統のものが全国各地でもつくられた。大正のころからは紙製にかわりセルロイド製が進出,ガラス玉や鈴をつけたものなど種類も多くなった。
執筆者:斎藤 良輔
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
風の力を利用して動力を得る機械。自然力を動力源にしている機械としては、水車とともに代表的なものである。いつごろから、どこで風車がつくられ、使われるようになったかは、さだかでない。見聞としては、10世紀初頭に大旅行をしたアラビアの地理学者が、ペルシアで風車を見た、としている。
今日では、風車は東方で発明され、それがヨーロッパに導入されたのであろうとされているが、どのようにしてヨーロッパに伝播(でんぱ)したのか、はっきりさせることはできない。ヨーロッパの学者のなかには、その起源を東方とする説に疑問を呈している者もいる。その理由は、風車に関する文献が全然見当たらないこと、そして東方に風車がそれほど残っていないことをあげている。
ヨーロッパでは10世紀末から11世紀初頭にフランス、イギリス、オランダなどに風車が出現したが、図版で残されているのは14世紀以降であり、それ以前の風車についてその形などを正確に知ることはできない。16世紀に入って、オランダの技術者たちは風車を急激に発達させたといわれる。それは風車の主要な機構の変化をもたらすものではなく、むしろ部品の精巧化、設計の緻密(ちみつ)化などを進めることで風車の規模を大きくすることを可能にし、生産効率を高めることにつながった。
風車の効率は、風がつねに車翼に向かって当たることで高まる。したがって車翼を風の方向に向けるために、風車全体、あるいは車翼の取り付けられた上部だけを、風向きにあわせて旋回できるようつくられる必要があった。車翼のついた頂部が、ころの上にのせられるような設計が行われ、風向きによって頂部だけが旋回できるような風車(塔型風車)は16世紀なかばに製作されたと伝えられる。その頂部の旋回は、てこを使うか、伝導機構によって頂部の歯車とかみ合う軸を回転させて行われた。また16世紀には、車翼の腕木を水平面に対してある程度の角度をもたせて取り付けたほうが風を受ける効率が高くなる、という点を議論しており、実際、設置される風車の多くは車翼に若干の角度をもっていた。
風車がオランダで大きく改良されたのは、この国でそれだけ多く風車が利用されたためである。オランダでは土地がら、昔から水害に悩まされ、土地の干拓のために水をくみ出さなければならなかった。この排水の動力に風車が盛んに使われたほか、製粉機の動力として利用された。そのようななかで、回転している臼(うす)をすばやく停止できるような制動装置が発明されたり、17世紀になってからではあるが、その後の機械学および機械工業の発展を促進させた、回転速度を一定に保てるようにしたはずみ車(フライホイール)が発明され、風車の機構にも取り入れられた。このようにしだいに機構が整備・改良されて、広く一般に普及していった。こうした伝統が、今日、風車をオランダの風物にまでしているともいえるのである。
車翼は風の強弱にかかわらずスムーズに回転させる必要がある。そのために車翼を骨組だけでつくり、それに帆布を張れるように設計し、帆布の張る量の調節により風力の変化に対応できるようにしている。強風のときには帆布をまったく張らず骨組だけで回転させ、逆に微風のときには骨組を帆布で覆って風を十分に受け止め回転させるのである。車翼には種々の型があるが、オランダでは四枚羽根のものが発達し、アメリカなどではそれ以上に多くの羽根のものが使われた。新しいものではプロペラ型のようなものがある。
19世紀になって蒸気機関が発明されると、風車はしだいに使われなくなった。自然条件に左右されるという点で原動機として使われなくなるのも当然のことといえるであろう。しかし、灯台などで風力発電に利用され、貴重な原動機として活躍しているし、風の吹く条件のよい地域では灌漑(かんがい)・揚水などに使われている例もある。
日本では、水田の水の確保のために地下水をくみ上げる揚水ポンプの原動機などに一部の地域で利用されていた。しかし広く使われることはなく、博物館でも資料として風車を保存しているところはきわめてまれとなっている。
[雀部 晶]
近年では、地球温暖化など環境問題が大きく取り上げられるようになり、風車を用いた風力発電が自然を利用したクリーンエネルギーとして注目されるようになった。大規模な風力発電には、おもにプロペラ型風車が用いられ、日本では、家庭用の小型風力発電を除くと、2008年(平成20)3月末で1409基の風力発電用風車が稼動している。
[編集部]
紙、経木(きょうぎ)、セルロイドなどでつくった車輪形のものを柄(え)の先につけ、風力で回転させる玩具(がんぐ)。古くは紙製で、中国から渡来し、平安時代には子供の遊び道具になっていた。室町時代には起きあがり小法師(こぼし)や手毬(てまり)などとともに、子供の玩具として親しまれていたことが、当時の小舞(こまい)の文句の一節などでもうかがわれる。江戸時代に入ると新春の玩具となった。1686年(貞享3)刊の『雍州府志(ようしゅうふし)』(黒川道佑(どうゆう)著)には、「京の祇園(ぎおん)町製がもとで春の初めに多くつくられる。細い竹片で小さな花輪をつくり、青紅色の紙片を花弁のように張り付ける。風が当たると花輪が転舞するので風車という。藁(わら)台に立てて売る」という意味のことを記している。
江戸中期から末期にかけては、江戸・雑司ヶ谷(ぞうしがや)鬼子母神(きしもじん)の参詣土産(さんけいみやげ)として広く知られた。五色紙製のもので、この系統の紙風車には、現在、福島県会津若松市、宮城県気仙沼(けせんぬま)市唐桑(からくわ)町のものがある。愛知県豊橋(とよはし)市郊外の小坂井菟足(うたり)神社の祭礼では、経木製の風車が売られる。いずれも信仰縁起にちなんだ郷土玩具として知られている。明治以後はセルロイド製のものが進出し、なかにはガラス玉をつけたもの、風で鈴が鳴ったり、房がついているものなど、さまざまな種類がみられる。ヨーロッパでも17世紀の絵画に子供がこれを持って走り遊ぶ姿がみられる。現在は、従来の紙製、セルロイド製にかわりプラスチック製のものが多く、乳幼児用として親しまれている。
[斎藤良輔]
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出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…改造社に入社し,はじめ円本(えんぽん)の《現代日本文学全集》の校正に従い,のち《改造》編集部に移る。1927年,五高時代の友人永松定(さだむ)ら仲間10人と同人雑誌《風車(ふうしや)》を創刊,《凡人凡日》その他の習作を上林暁の筆名で発表する。31年,文壇的処女作《欅日記》を《新潮》に掲載。…
…冬は降雪もほとんどなく,大きな海港は凍結しないが,運河や湖沼は東から張り出す高気圧の影響で短期間凍結する。かつて偏西風が動かした多数の風車は低地帯の水を海に汲み上げたばかりでなく,製粉,毛織物の縮絨,製材などの動力源として利用された。
[土壌]
土壌は一般に肥沃とはいえない。…
…以下に例をあげてみよう。
[風車,風力発電]
風車は古くはインドや中国などで,脱穀や製塩のために水を引き入れる道具として使われていた。ヨーロッパには12世紀ごろイスラム教徒によって伝えられ,14,15世紀ごろまで主として粉ひきの動力源として用いられていた。…
…これらのポンプは揚水用や消火用であるが,送風用のポンプがふいごである。初期のオルガンは水圧を利用して風を送るものが多かったが,風車でピストンを動かす送風機つきのオルガンの考案もあった。西洋中世ではオルガンがひじょうに発達したのでオルガヌムorganumというラテン語が〈機械〉を表す語になったほどである。…
※「風車」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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