世界大百科事典(旧版)内の《ドン・フアン》(音楽)の言及
【シュトラウス】より
…同年12月から翌年4月までマイニンゲン宮廷音楽監督,86年秋より3年間ミュンヘン宮廷歌劇場第3指揮者となる。この頃から《ドン・フアン》(1888)や《死と変容》(1889)といった交響詩を書きだし,ドイツ後期ロマン派の最後の代表者として,また華やかなオーケストレーションの技法を駆使した独特の作風を確立。89年秋から94年6月までワイマール宮廷劇場で第2指揮者を務める。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」