世界大百科事典(旧版)内の《敦煌千仏洞》の言及
【ペリオ】より
…シャバンヌを継いで,《通報T’oung Pao》の編集者となり(1920),コルディエ没(1925)後は,一人でその任にあたった。博学で,中国を中心に東南アジア,中央アジア,モンゴル,チベットなど諸地域の言語,文献,歴史,宗教,美術等に通じ,《敦煌千仏洞》6巻(1920‐26)はじめ,おびただしい数の論文・著書を発表して,世界の学界に大きな影響を与えた。死後も遺稿が続々と刊行されている。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」