世界大百科事典(旧版)内の《空中ブランコに乗る大胆な若者》の言及
【サローヤン】より
…アルメニア系移民の子としてカリフォルニア州フレズノに生まれ,幼時父を失い孤児院で過ごす。中学中退後,郵便配達など職を転々としたが,貧しい文学青年の意識を写実とファンタジーの混じった文体で描いた短編《空中ブランコに乗る大胆な若者》(1934)で認められた。以後,戯曲,長編,短編を次々に発表し,1939年には戯曲《わが心は高原に》がブロードウェーで評判となり,同年の《君が人生の時》で翌年ピュリッツァー賞の受賞が決定したが,彼は受取りを拒絶した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」