世界大百科事典(旧版)内のくらわんか船の言及
【くらわんか】より
…江戸時代に大坂の淀川を上下する乗合船の船客に,酒や食物などを売った煮売船をくらわんか船といい,この商売に用いた下手な染付の飯茶碗の類を〈くらわんか〉と呼ぶ。〈飯くらわんか〉との呼び声から生じた俗称という。…
【煮売屋】より
…手軽な食事と茶や酒を売った店。煮売茶屋ともいう。煮売の語は,浅井了意の《東海道名所記》(1661)に〈在所により家によりて,国の名物,酒,さかな,煮売,焼売〉とあるように,はじめは餅,だんご,あるいは魚などを焼いて売る焼売(やきうり)に対して,魚や野菜の煮物を売る商売をいった。江戸では明暦の大火(1657)以後,復興事業のために地方から流入した労働者相手に煮売屋が急増し,飲酒にともなう事件が多発したのであろう,1661年(寛文1)には振売をも含めて煮売屋の夜間営業が禁止された。…
【枚方[市]】より
…京街道に並んで淀川の水路を有し,伏見からの下りには舟便が利用されたため,街道筋の駄賃稼ぎが少なく,宿財政は窮乏していた。しかし船客や船頭に飲食物を売りつける〈くらわんか船〉の権利を独占しており,また旅籠屋の下女奉公人を旅客相手の私娼(飯盛女)とし,1800年(寛政12)にはその数は127人にのぼっている。この宿は幕末から近代にかけても川筋の遊興地としてにぎわいをみせた。…
※「くらわんか船」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」