アイン・ジャールート(読み)あいんじゃーるーと

世界大百科事典(旧版)内のアイン・ジャールートの言及

【フレグ】より

…さらに征服活動を進めてシリアに転戦中,モンケの訃報が入ると東帰しようとした。しかし,シリアの守将キトブカKitbuqaがマムルーク朝との戦いに敗れて殺され(1260年,アイン・ジャールートの戦),キプチャク・ハーン国軍も南下してアゼルバイジャンをうかがう気配を見せ,さらに本国ではモンケ没後のフビライ(世祖)と弟アリク・ブケがハーン位継承争いを起こすに及んで帰国を断念した。征服活動に従った麾下の諸部族軍ともどもイランを中心とする征服地に居ついたフレグはイル・ハーン国の開祖となったが,敵国軍の侵入に対処する中,国の基礎がまだ十分に固まらないうちに没した。…

※「アイン・ジャールート」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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