世界大百科事典(旧版)内のエイナウディ[会社]の言及
【ピエモンテ[州]】より
…一人はグラムシとも交わりのあった反ファシズム思想の持主モンティAugusto Monti(1881‐1966)であり,もう一人はP.ゴベッティである。モンティはトリノの高校教師として,作家C.パベーゼや出版社主エイナウディGiulio Einaudi(1912‐ )らに大きな影響を与え,ゴベッティもモンティの生徒の一人であった。ゴベッティは若くして亡命先のパリに客死するが,彼が創刊した《バレッティ》誌(1924‐28)には詩人E.モンターレをはじめ,多数のピエモンテ出身の文学者たちが参加した。…
【メナボ】より
…イタリアの文学雑誌。E.ビットリーニがI.カルビーノと連携して,1959年に,トリノのエイナウディ社から創刊した。ビットリーニは総合文化雑誌《ポリテークニコ》(1945‐47)と文学叢書《ジェットーニ》(1951‐58)の編集を通じて,ファシズムとレジスタンスを経た戦後のイタリア社会における文学や文化の責務を問いつづけてきたが,60年代を目前にして,高度産業化社会および国際化社会における新しい文学の責務を追究すべきことを痛感し,その拠点として,《メナボ》誌の発刊に踏み切った。…
※「エイナウディ[会社]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」