世界大百科事典(旧版)内のトロツキー=ジノビエフ合同本部事件の言及
【大粛清】より
…しかし,スターリンに次ぐ有力な指導者キーロフが34年12月に謀殺されると(キーロフ暗殺事件),スターリンはただちに治安当局を督促して,ジノビエフらの旧レニングラード反対派を逮捕し,36年7月,第1次モスクワ裁判を組織して粛清をはじめた。ジノビエフらは〈トロツキー=ジノビエフ合同本部事件〉という見世物裁判において検事の偽造した自己の犯罪をすすんで認め,裁判後,銃殺された。36年9月,党中央委員会の官僚であったエジョフが内務人民委員となると党員に対する粛清の規模は拡大した。…
※「トロツキー=ジノビエフ合同本部事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」