ドイツ基本条約(読み)どいつきほんじょうやく

世界大百科事典(旧版)内のドイツ基本条約の言及

【ドイツ民主共和国】より

… このような国力の充実と体制の安定は,西側諸国も認めざるをえなくなり,西ドイツも東ドイツ不承認の政策に固執し続けると,かえって国際的孤立を招くようになった。ヨーロッパにおける米ソ間の緊張緩和(デタント)の傾向もあって,72年にいたって東ドイツと西ドイツとのあいだに両国の関係の基本に関する条約,いわゆるドイツ基本条約が結ばれ,両国は事実上,相互に独立国家として承認し合うことになった。これは,長らく傀儡政権とみなされ,あるいは不完全な分裂国家としてしか扱われなかった東ドイツにとって画期的なできごとであり,これによって西側諸国による東ドイツ承認の道が開かれた。…

【ドイツ連邦共和国】より

…ブラントは東方政策ばかりではなく,アデナウアーの西方政策,独仏協調政策も引き継いだ。72年には,ドイツ基本条約が締結され,二つのドイツ国家共存のルールが作られた。74年に首相になったシュミットは,アデナウアーの西方政策とブラントの東方政策のいずれをも継承した。…

※「ドイツ基本条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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