世界大百科事典(旧版)内の倍加線量の言及
【原子力発電論争】より
…また利益の評価は当然,推進者側と批判者側とでは異ならざるをえないため,複雑な論争を生むことになった。1969年にアメリカのゴフマンJohn W.GofmanとタンプリンArthur P.Tamplinは,放射線照射によって癌発生率が自然発生率の2倍となる線量(倍加線量という)を求め,それから1958年の国際放射線防護委員会(ICRP)などの勧告で推定した晩発性障害の値が低すぎることを指摘し,許容線量を100分の1に切り下げねばならぬとした。2人がどちらもアメリカ原子力委員会U.S.Atomic Energy Commission(AEC)所属の研究者であったことが,この論争を先鋭化させた。…
※「倍加線量」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」