公孫康(読み)こうそんこう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「公孫康」の意味・わかりやすい解説

公孫康
こうそんこう

公孫氏政権

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の公孫康の言及

【帯方郡】より

…漢の武帝は衛氏朝鮮を滅ぼして,前108年その故地に楽浪郡(郡の中心は朝鮮県)をおいたが,後漢の末ころから遼東地方の太守として勢力の強かった豪族公孫度は,三国の魏(曹魏)の時代になると漢末中国政権の動乱に乗じて独立的存在となった。公孫度の死後,その子,公孫康はますます独立的傾向を強め,夫余や高句麗を威圧し,さらに南下して中国の前進基地ともいうべき楽浪郡を支配下においた。しかし楽浪郡の南部には韓・濊(わい)諸族の勢力が台頭しているので,これらを統制する必要から郡をほぼ二分し,屯有県以南を新しく帯方郡として南方諸族経略の根拠地とした。…

※「公孫康」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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