土佐勤王党(読み)とさきんのうとう

世界大百科事典(旧版)内の土佐勤王党の言及

【武市瑞山】より

…土佐国長岡郡仁井田郷吹井村の郷士武市半右衛門正恒の長男。若いころから剣で知られたが,1861年(文久1)の江戸遊学中交流した久坂玄瑞らと率兵上京を計画し,土佐勤王党を結成した。帰国後,全藩にまたがる草莽尊攘派を糾合し,当時藩政を主導していた開明的な吉田東洋を暗殺させ,土佐藩政に影響力をもつようになった。…

【土佐国】より

…藩校として宝暦年間(1751‐64)に教授館(こうじゆかん)が,幕末にはそれに代えて文武館(のち致道館)が設けられた。尊王攘夷運動を推進した土佐勤王党は,15代藩主山内容堂(豊信)が安政の大獄に連座したことを契機に結成され,盟主武市(たけち)瑞山(半平太)以下約200名の党員はほとんど郷士,庄屋などの下士,豪農だった。公武合体派の参政吉田東洋を暗殺して一時藩政に影響を及ぼしたが,大獄後帰藩した容堂に弾圧され,壊滅状態となった。…

※「土佐勤王党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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