寛永の三筆(読み)かんえいのさんぴつ

世界大百科事典(旧版)内の寛永の三筆の言及

【近衛信尹】より

…1601年左大臣に還任,05年関白,氏長者となる。能書家として知られ,後世,その書風を三藐院流と称して,本阿弥光悦,松花堂昭乗とともに寛永の三筆とたたえている。【橋本 政宣】。…

【三筆】より

…ほかには江戸時代に日本へ渡った黄檗(おうばく)宗の3僧,隠元,木庵(もくあん)(1611‐84),即非(そくひ)(1616‐71。諱は如一(によいち),木庵の法弟)を〈黄檗の三筆〉,また近衛信尹(のぶただ)(号は三藐院(さんみやくいん)),本阿弥光悦松花堂昭乗を〈寛永の三筆〉と呼ぶが,この呼名もおそらく明治以降であろうといわれ,1730年代(享保年間)には寛永三筆を〈京都三筆〉と呼んでいる。また巻菱湖(まきりようこ),市河米庵貫名海屋(ぬきなかいおく)(菘翁(すうおう))の3人を〈幕末の三筆〉という。…

【書】より

…伏見宮尊朝法親王は青蓮院流でもとくに尊朝流と呼ぶ名筆で知られる。公卿では青蓮院流から近衛流を創始した近衛前久(さきひさ)があり,とくにその子近衛信尹(のぶただ)は強い筆線で大字の仮名に異色の書風を現出し,三藐院(さんみやくいん)流と称され,江戸初期の本阿弥光悦,松花堂昭乗とともに〈寛永の三筆〉と呼ばれる。その大字屛風は当時盛行した障壁画に伍して和様の書を迫力ある作品にしあげている。…

【本阿弥光悦】より

…代表作には〈不二山〉〈時雨〉〈雨雲〉〈喰違〉〈七里〉〈加賀〉〈毘沙門堂〉〈乙御前〉〈紙屋〉〈雪峰〉などがあげられるが,しいて分類をすれば腰を張らせた半筒形と,腰の丸い作品とに分けられる。【赤沼 多佳】 書道ははじめ青蓮院尊朝流,近衛流などの影響をうけながら,上代様に直接学んで,ついに肥瘦の変化に富む纏綿(てんめん)華麗な独自の書風〈光悦様〉を創始し,近衛信尹(のぶただ),松花堂昭乗とともに寛永の三筆と呼ばれて名高い。金銀泥の下絵を施した料紙に調和した装飾美溢れる作品があり,おもなものに,〈木版下絵和歌巻〉〈四季草花和歌巻〉〈立正安国論〉などがあげられる。…

※「寛永の三筆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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