斥和碑(読み)せきわひ

世界大百科事典(旧版)内の斥和碑の言及

【大院君】より

…〈江華島事件〉の項参照)などを惹起した。攘夷の決意を表明した斥和碑の建立(1871)に示される彼の鎖国攘夷政策は,外国の侵略を撃退するうえでは成果を挙げたが,朝鮮の近代化を遅らせる結果となった。結局,書院の撤廃,景福宮の再建などに強く反対する崔益鉉(さいえきげん)ら儒生の反発と,高宗の王妃である閔妃(びんひ)およびその一族との対立から1873年に下野した。…

【洋擾】より

…戒我万年子孫。丙寅作辛未立〉と刻んだ石碑(斥和碑)を全国に建立し,断固とした鎖国攘夷の意志を示した。朝鮮が欧米諸国に開国するのは,政権が大院君から閔(びん)氏に移り,江華島事件をへて日朝修好条規(1876)を締結して以後のことである。…

※「斥和碑」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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