世界大百科事典(旧版)内の紀南城の言及
【江陵】より
…しかし1896年(光緒22)に南8kmの沙市が通商港として開かれてからは,以前ほどの繁栄はみられなくなった。また江陵には楚都郢の故城である紀南城の遺跡をはじめ古墓も付近に多数存在し,今日までにいくつかの考古学上注目すべき発掘成果をあげている。その一つは1965年の望山1号,2号および沙塚1号の戦国楚墓の発掘である。…
※「紀南城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…しかし1896年(光緒22)に南8kmの沙市が通商港として開かれてからは,以前ほどの繁栄はみられなくなった。また江陵には楚都郢の故城である紀南城の遺跡をはじめ古墓も付近に多数存在し,今日までにいくつかの考古学上注目すべき発掘成果をあげている。その一つは1965年の望山1号,2号および沙塚1号の戦国楚墓の発掘である。…
※「紀南城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新