世界大百科事典(旧版)内の農民戦争(ロシア)の言及
【モスクワ・ロシア】より
…またこの間に,元来は一代限りの保有地であったポメスチエの世襲化,世襲所領化がしだいに進み,領主権は安定したが,農民逃亡は17世紀後半にも続き,社会の不安定要因をなした。
[絶対主義への傾斜]
逃亡農民やホロープの一部は盗賊団やコサック集団に加わり,ボロトニコフの乱やラージンの乱も農民をまきこんで農民戦争の性格をもったが,モスクワ・ロシアでは都市の民衆反乱も少なくなかった。イワン4世の改革は1547年のモスクワの暴動がきっかけになった。…
※「農民戦争(ロシア)」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」