世界大百科事典(旧版)内の雲巌寺虎丘塔の言及
【虎丘】より
…春秋時代,呉の闔閭(こうりよ)王(在位,前515‐前496)の墓址と伝えられる。いまは雲巌寺(うんがんじ)虎丘塔,剣池,千人石などがある。虎丘塔は五代後周の959年(顕徳6)に着工,北宋の961年(建隆2)に完成した塼塔(せんとう)。…
【塔】より
…一般に,幅・奥行きに比べて著しく高い建造物,と定義される。しかし,塔には人間が昇っていく場所という意味内容が伴っており,そのため煙突は塔とはいえず,テレビ塔や電波塔もそれだけでは高い構築物にすぎない。また,古代ローマの記念柱であるトラヤヌスの円柱は,中を螺旋(らせん)階段が昇り,塔ともいえる。先史時代の巨石記念物や古代エジプトのオベリスクは,石塊そのものであって塔ではない。 多くの場合,塔は発生的には軍事上の目的(監視,防御)あるいは宗教上の目的(天上世界の希求)をもっており,同時に塔はそれを実現し,支える権力の象徴ともなった。…
※「雲巌寺虎丘塔」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」