世界大百科事典(旧版)内のṬahmāsbの言及
【サファビー朝】より
…一方,彼の行った十二イマーム派の国教化,スンナ派信徒の迫害は,スンナ派を奉じるオスマン帝国,ウズベクとの敵対関係を生み,14年最初の対オスマン・トルコ戦でイラン軍は敗北を喫した。24年,10歳のタフマースブṬahmāsb(1514‐76)が即位すると,政治の実権を握ったクズルバシュ貴族たちが互いに勢力を争い,政情が乱れた。ためにオスマン帝国,ウズベクの侵攻に対して十分な手が打てず,首都はタブリーズからカズビーンに移された。…
※「Ṭahmāsb」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」