サファビー朝(読み)サファビーちょう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サファビー朝」の意味・わかりやすい解説

サファビー朝
サファビーちょう
Ṣafavids; Ṣafavīyah

イラン王朝 (1501~1736) 。アゼルバイジャンのアルデビールでサファビー・スーフィー教団を創始したサフィー・ウッディーン (1252/3~1334/5) の一族は,15世紀頃よりシーア派的,軍事的性格を強め,イスマーイール1世のとき,シーア派トルクメンから成るクズルバシュ軍を率いてアゼルバイジャンに支配権を確立,1501年タブリーズを首都としてサファビー朝を創設した。この王朝名は始祖サフィー・ウッディーンの名に由来する。イスマーイールチムール朝の衰退に乗じてたちまちイラン全土を平定し,ユーフラテス川からアフガニスタンにいたる大帝国を建設,みずからシャー (イランの王号) と号し,シーア派十二イマーム派を国教として,サーマン朝滅亡以来 500年ぶりにイラン人の政治的独立を回復した。5代目アッバース1世イスファハンを首都として,官僚機構の整備,軍制改革などにより中央集権的国家体制を確立。西のオスマン帝国,東のウズベクトルコ族を圧倒して最盛期を現出した。しかし,アッバース1世の没後後継者人材を得ず,また軍隊や貴族間の相克が絶えず,同王朝は内部より崩壊しはじめ,ついに 1722年新興のアフガン族の攻撃を受けて首都イスファハンが陥落,36年滅亡した。この王朝治下にイラン人はシーア主義を完全に定着させ,また純粋にイラン的な文化を発展させて,今日のイランの社会,文化の直接的基盤を築き上げた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「サファビー朝」の意味・わかりやすい解説

サファビー朝
さふぁびーちょう

イラン北西部、カスピ海近くにあるアルダビールのスーフィー聖者の家柄と仰がれていたサファビーSafavî家のイスマーイール1世が建てたイランの王朝(1501~1732)。預言者ムハンマド(マホメット)の子孫と称する彼が築いた神権政治の基礎も、その死(1524)後、東西からのウズベク人やオスマン・トルコの侵入と、建国の功臣であるトルコ系諸部族の首長たちの勢力争いなどのために揺らいだ。そこで第5代アッバース1世はカズビーンからイスファハーンへ遷都し、王直属軍の創設、王領地の拡大、絹輸出権の独占など一連の絶対主義的政策をとり、国力の充実、失地の回復に努めた。その後3代、比較的平和な時代が続いたが、1722年、首都がアフガン人の手に落ち、事実上王朝は崩壊した。十二イマーム・シーア派を国教とするこの王朝治下では、神学の発達が著しく、美術、工芸、建築なども盛んであったが、文学は振るわなかった。ヨーロッパとの密接な関係も生じ、多数のヨーロッパ人がイランを訪れた。

[羽田亨一]

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