世界大百科事典(旧版)内の《ヒューマニズムについて》の言及
【ヒューマニズム】より
…たとえばサルトルが,〈人間においては存在が本質に優先する〉というテーゼによって,〈実存主義〉を唱えながら,やがて〈われわれは,ただ人間のみが存在するような地平にいる〉というテーゼによって,〈実存主義はヒューマニズムなり〉と主張するとき,ヒューマニズムという立場の根拠に関するあいまいさと混乱があらわになる。ハイデッガーの《ヒューマニズムについて》(1949)は,こういう多義性に直面して,〈ヒューマニズムという言葉に一つの意義を取り戻すことができるか〉という問いに答えようとしたものであるが,彼はヒューマニズムを,存在者の存在についての特定の解釈を前提にした形而上学の系譜に属するものとして,それから一線を画し,人間中心主義の形而上学の超克という方向で,むしろヒューマニズムを超えることを志向している。また,ハイデッガーに次いで1960年代以降ドイツ哲学界の声望を集めたアドルノは,自然支配の原理のうえに自己を確立してきた人間主体が,逆に自然に隷従するという《啓蒙の弁証法》(1947)の立場から,人間の自己疎外の問題を,むしろ自然の自己疎外の問題としてとらえ直そうとしている。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」