世界大百科事典(旧版)内の《ロマン派》の言及
【ハイネ】より
…31年,特派員としてパリに赴き,以後亡命し,その死去まで同地で過ごす。散文を〈武器〉とするこのような創作活動の頂点に位置するのが,《ロマン派Die romantische Schule》(1836刊,1833年に《ドイツにおける近代文学の歴史のために》の題で発表)と《ドイツ宗教・哲学史考》(1834)にほかならない。これら二つの労作の中で,ハイネはヘーゲルの弁証法とサン・シモンの教義を融合させた独自の歴史観を展開し,そこからきたるべきドイツ革命の必然性を,予見的に描きだした。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」