世界大百科事典(旧版)内の《四庫全書総目提要》の言及
【紀昀】より
…翰林の官にいて,戴震,銭大昕(せんたいきん)ら都へ集まる学者たちにとってのよき庇護者であったが,1768年,罪に問われた姻戚にその情報を内報したかどで,ウルムチ(烏魯木斉)に流された。2年ほどで許され,1773年に四庫全書館が開かれると,総纂官として編纂の事業を統括し,とくに書目解題《四庫全書総目提要》は各専門分野の学者の手に成る分纂稿に筆をふるって定稿とした。四庫全書の纂修に専念すること10年,みずからの学術上の専著はほとんど残さなかったが,《紀文達公遺集》文16巻,詩16巻がある。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」