《夢跡一紙》(読み)むせきいっし

世界大百科事典(旧版)内の《夢跡一紙》の言及

【世阿弥】より

…義教の弾圧下にも,女婿金春禅竹(こんぱるぜんちく)のため《拾玉得花(しゆうぎよくとつか)》を著述し,《習道書(しゆどうしよ)》を書いて一座の結束をはかるなど,世阿弥の意欲は衰えなかったが,1430年には元能が父の芸談を《申楽談儀(さるがくだんぎ)》にまとめて遁世し,32年8月には元雅が伊勢で客死し,観世座の本流は断絶してしまった。老後に後嗣を失った嘆きは《夢跡一紙(むせきいつし)》に痛ましく,翌年成立の《却来華(きやくらいか)》は相伝者のいないまま後代への形見として書かれている。33年に元重が観世大夫となったが,その大夫継承をめぐって将軍の怒りに触れたのか,世阿弥は翌年老残の身を佐渡へ流された。…

【観世元雅】より

…幼少の子がいて,47年(文安4)に元服,大和の越智(おち)を本拠として薪猿楽などで活動し,音阿弥が継いだ京都の観世大夫に対して十郎観世大夫などと呼ばれたが,83年(文明15)に没し,元雅の血統は絶えたようである。 元雅は稀有の俊秀だったらしく,世阿弥は追悼文《夢跡一紙》で〈子ながらもたぐひなき達人〉〈祖父にも越えたる堪能〉と評し,《却来華(きやくらいか)》では〈無用のことをせぬ〉得法の境地に達していたと言うなど,高く評価していた。《花鏡(かきよう)》は元雅が相伝した書であるが,相伝者を特記していない世阿弥伝書のほとんどが元雅に相伝されたと解される。…

※「《夢跡一紙》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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