《寛政暦書》(読み)かんせいれきしょ

世界大百科事典(旧版)内の《寛政暦書》の言及

【渋川景佑】より

…寛政改暦をほとんど独力で成し遂げた父至時の死後は他の天文方に理解する能力がなかったため,寛政暦法の詳しい暦理の撰述(せんじゆつ)は進(しんちよく)せず,その施行後40年も経た39年幕府は景佑に命じて督修させた。44年,景佑が中心となって《寛政暦書》35巻,《寛政暦書続録》5巻が撰述され上呈された。この巻頭に〈暦学を為す者,数理に明らかならず候,測に精しからずして能く至る有るものあらざるなり〉とみずから記している景佑は,ほかに類を見ない多くの著述を残している。…

※「《寛政暦書》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

二十四節気の一つで,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) として四季の中央におかれた中気。元来,春分は太陰太陽暦の2月中 (2月後半) のことで,太陽の黄経が0°に達した日 (太陽暦の3月 2...

春分の用語解説を読む