世界大百科事典(旧版)内の《本草綱目啓蒙》の言及
【小野蘭山】より
…江戸在住以来,各地に5回採薬旅行し,旅行ごとに採薬記を幕府に提出した。主著《本草綱目啓蒙》48巻(1803‐06)のほか多数の著作がある。《本草綱目啓蒙》は図はないが,江戸本草の集大成で,江戸時代最大の博物誌であり,江戸後期の本草への寄与は大であった。…
【本草学】より
…その後も盛んに中国から本草学が導入されたが,漢籍を日本風に理解したのと呼応して,植物学でも,中国で記述された種を日本風に解釈するにとどまっていた。やっと18世紀になって,貝原益軒の《大和本草》(1709)や稲生若水の《庶物類纂》(未完),小野蘭山《本草綱目啓蒙》(1806)などによって日本風の本草学が集成されていった。江戸時代末にはC.P.ツンベリーやP.F.vonシーボルトなどを介して西洋本草学の影響が及び飯沼慾斎《草木図説》(1852),岩崎灌園《本草図譜》(1828)などが出版され,日本の植物についての高い知見が示されていった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」