《盲人書簡》(読み)もうじんしょかん

世界大百科事典(旧版)内の《盲人書簡》の言及

【前衛劇】より

…これらは都会の暗い密室のなかに,突如として侏儒(しゆじゆ),大女,女装者,美少年などの奇優・怪優を出現させる強く〈見世物〉的な性格を帯びた劇であったが,そのような巧みに演出された反・公的な世界,日常世界の規範によって負の価値を帯びたものとしていわれなく排除された肉体・精神が共存する〈全的な世界〉の中で,われわれの無意識下に潜むさまざまな想念が検証されるのであった。寺山の前衛の精神は,日本のこの時代においては最もラディカルなものであり,たとえば上演時間の半分近くが真っ暗闇で,観客はそれぞれの想像力によって見えない部分を組み立て演劇を作りあげるという《盲人書簡》(1973,74)や,75年の4月19日午後3時から翌20日の午後9時にいたる30時間に,都内の二十数ヵ所で同時多発的に行われセンセーションを巻き起こした市街劇《ノック》,また観客席に多数の俳優を配して観客を不意打ちすることにより,観客自身を主人公としてその存在の意味を問う《観客席》(1978)などは,怠惰に習慣化した演劇行為と演劇の場を,その根底から揺さぶる試みであった。寺山は多くの海外の演劇祭に参加して国際的な声価を高めたが,83年5月,47歳の若さで死去した。…

【ディドロ】より

…ついで彼は,このシャフツベリー的有神論の立場を匿名の哲学的著作群のなかでしだいに深化発展させていく。すなわち《哲学断想》(1746)の理神論,《懐疑論者の散歩道》(1747)のスピノザ主義を経て,最後に《盲人書簡》(1749)の無神論にいたる。この作品では,手術によって視覚を回復した盲人の外界認識の問題が検討され,経験が認識の成立に不可欠の契機であることが論証されている。…

【盲人】より

… 18世紀になると,哲学や医学からの新しい関心が盲人に対して向けられた。ディドロは《盲人書簡》(1749)を著し,盲人と晴眼者の認識や理解力の異同を考察した。彼はその中で,盲人は裸で町中を歩いても正気でいられるなど倫理道徳面で晴眼者と大きく食い違うこと,幾何学のような視覚を前提とした学問の理解が盲人には難しいことなどを述べ,J.ロックの経験論を踏まえ感覚=体験と思考活動の密接な関連を論じた。…

※「《盲人書簡》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

一粒万倍日

一粒の種子をまけば万倍になって実るという意味から,種まき,貸付け,仕入れ,投資などを行えば利益が多いとされる日。正月は丑(うし),午(うま)の日,2月は寅(とら),酉(とり)の日というように月によって...

一粒万倍日の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android