《神農本草経》(読み)しんのうほんぞうきょう

世界大百科事典(旧版)内の《神農本草経》の言及

【炎帝】より

…聖徳があって帝位につくと,陳に都を定め,耒(らい),耜(し)などの農具を発明して穀物をうえることを人々に教え,市場の制度を創始するなどして民生の安定につとめた。また草木を嘗(な)めて薬草を探し,《神農本草経》4巻を著したとされる。皇甫謐《帝王世紀》,司馬貞《補史記》三皇本紀を参照。…

【自然誌】より

…いずれも天文・地理から始めて草本に終わる分類百科全書であって,日本でも江戸時代に寺島良安によって《和漢三才図会》(1712)ができている。しかしとくに動植物については別に〈本草書〉の伝統があり,梁の陶弘景が漢末の混乱で散逸した本草書を整理し,《神農本草》《名医別録》を基に《神農本草経》の定本を著したのに始まり,李時珍の《本草綱目》で完成した。江戸時代,日本ではこれらの研究は〈物産学〉と呼ばれて盛んであった。…

【神農本草】より

…中国の陶弘景が《神農本草経》を編纂した時に用いた底本の一つで,上中下の3種に分類した365の薬品を収載した薬物書であったという。《証類本草》で黒地に白で表された大きい字の部分がこの書からの引用文であるが,陶弘景によって多少は変更された可能性がある。…

【中国医学】より

…鍼灸についても刺激点である経穴(つぼ)が発見され,それらの知識は皇甫謐(こうほひつ)(215‐282)によって整理されて《甲乙経》中にまとめられ,その後の鍼灸療法の基準になった。また重要な診断法である脈診についての知識をまとめた《脈経》は晋の初期(3世紀後半ごろ)に王叔和によって著されたとされ,陶弘景が当時存在していた本草書を整理して《神農本草経》(《神農本草》)を編纂したのは500年ころである。この2書もその後それぞれの分野の基本的な書とされて重視された。…

【本草学】より

…それらはすべて失われてしまい,《神農本草》だけが陶弘景の書に取り入れられて,その内容を現在まで伝えている。しかし,陶弘景以前の本草書は筆写の過程でかなりの異本を生じていたらしく,内容が確実に残るようになったのは500年ころに陶弘景が本草書の定本を作る目的で編纂した《神農本草経》からである。漢の時代に本草の成立に関係したのは方士たちであり,初期の本草書は神仙方術的な色彩の濃い書であったといわれる。…

【本草経集注】より

…正しくは《神農本草経集注》といい,《集注本草》とも呼ばれる。500年ころに陶弘景が編纂した中国の本草書(薬物書)である。…

※「《神農本草経》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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