世界大百科事典(旧版)内の《酔いどれ船》の言及
【スカトロジー】より
…また近代に入ると,《今昔物語集》に材を求めて芥川竜之介が《好色》(1923)を,谷崎潤一郎が《少将滋幹の母》(1950)を書く。しかし糞尿のイメージを,趣味的にでなく,作家の内面の象徴として意識的に用いたのは火野葦平の《糞尿譚》(1937)や,戦後の武田泰淳《`愛’のかたち》(1948),田中英光《酔いどれ船》(1949),高見順《この神のへど》(1954)などである。これらに共通するのは,挫折した主人公の自己否定の衝動のはけ口として,糞尿イメージが用いられている点である。…
【田中英光】より
…戦後は共産党に入党,沼津地区委員長となるが,1年ほどで離党,《地下室から》(1948)などで,戦後の革命運動を内部から批判的に告発した。48年の太宰治の死に衝撃を受け,そのころから生活は乱脈をきわめるようになるが,みずからの戦中・在朝鮮体験を検証した《酔いどれ船》(1948)や荒廃した生活をみつめた《野狐》(1949)などには,作者の純真無垢な魂が感じられる。49年太宰治の墓前で自殺した。…
※「《酔いどれ船》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」