《野性の男》(読み)やせいのおとこ

世界大百科事典(旧版)内の《野性の男》の言及

【カバルカンティ】より

…ブラジル出身の映画作家,プロデューサー,シナリオライター,美術監督。世界の映画史に残した足跡は大きく,まずフランスでは1920年代に,マルセル・レルビエ監督《人でなしの女》(1923),《生けるパスカル》(1925)の美術・セットデザイナーおよびアバンギャルド映画(《時の外何物もなし》1926,《港町にて》1928,等々)の監督として活躍,次いでイギリスでは,ロンドンのGPO(イギリス郵政局)映画班でジョン・グリアソンの片腕としてプロデューサー兼監督になり,《コール・フェイス》(1935),《北海》(1938)といった作品を撮って1930年代のイギリスのドキュメンタリー映画運動の一翼を担い,40年代にはイーリング撮影所でマイケル・バルコンの共同プロデューサー兼監督として,のちの〈ハマー・プロ〉の作品を予告するようなオムニバス構成の怪奇映画《真夜中》の〈もっとも身の毛のよだつ〉エピソード(《腹話術師のダミーとクリスマス・パーティー》)やディケンズ原作の《悪魔の寵児》(1946)をみずから撮る一方,イギリスの映画音楽の基礎をつくり(例えばベンジャミン・ブリテンといった現代音楽の作曲家を初めて映画に導く等々),49年には帰国してブラジル映画の復興に貢献し(1953年のカンヌ映画祭でアクション映画賞,音楽賞を受賞してブラジル映画の名声を国際的に高めた《野性の男》の製作に参加),その後,50年代半ばに再びヨーロッパに渡って,東ドイツ,オーストリア,イタリアで監督として活躍。東ドイツ映画《プンチラ親方と徒弟のマッティ》(1955)は,原作者のベルトルト・ブレヒトと共同で脚色。…

【バイヨン】より

…もともとは民俗音楽だが,ペルナンブコ州出身のアコーディオン奏者ルイス・ゴンザーガLuiz Gonzaga(1912‐ )が,1945年以降,ダンス音楽として流行させた。50年代に入ると流行は世界的となり,52年にアメリカのパーシー・フェース楽団が吹き込んだバイヨン・リズムの《デリカードDelicado》(ブラジルの作曲家ワルジール・アゼベード作曲)がヒットし,また,バイヨンにアレンジしたブラジル北東部の民謡を主題歌とするブラジル映画《野性の男O Cangaceiro》が53年のカンヌ映画祭で音楽賞を受賞した。バイヨンのリズムは2拍子で,図と跳ねる感じが特徴。…

※「《野性の男》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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