《霊験亀山鉾》(読み)れいげんかめやまぼこ

世界大百科事典(旧版)内の《霊験亀山鉾》の言及

【亀山の仇討物】より

…1770年4月肥前座初演)があり,歌舞伎に影響を及ぼした。大坂の歌舞伎では《勢州亀山敵討》(1728年7月中の芝居初演),近松徳三作《敵討千手助護剣(かたきうちせんじゆのすけだち)》(1790年8月中の芝居初演),江戸歌舞伎では《亀山の敵討》(1752年5月市村座初演),初世桜田治助作《楓錦亀山通(もみじのにしきかめやまがよい)》(1776年9月市村座初演),同《傾城吾嬬鑑(けいせいあずまかがみ)》(1788年2月中村座初演),初世瀬川如皐作《花菖蒲文禄曾我(はなあやめぶんろくそが)》(1794年5月都座初演),4世鶴屋南北作《霊験曾我籬(れいげんそがのかみがき)》(1809年4月市村座初演),同《霊験亀山鉾》(1822年8月河原崎座初演),《藤川船話(ふじかわぶねのりあいばなし)》など次々と脚色上演された。若党の忠義やその一族の貧苦など見せ場が多く,通し狂言に生命がある。…

【鶴屋南北】より

…幕府当局からの狂言差止めは1812年(文化9)1月市村座《色一座梅椿(いろいちざうめとしらたま)》でも惹起し,その年中不当りが続いたが,翌13年3月森田座での《お染久松色読販(うきなのよみうり)》(半四郎のお染の七役)は大当りを占めた。 後期の代表作には,半四郎の〈女清玄〉の《隅田川花御所染(すみだがわはなのごしよぞめ)》(1814年3月市村座),お六・八ッ橋(二役,半四郎)と願哲(幸四郎)の《杜若艶色紫(かきつばたいろもえどぞめ)》(1815年5月河原崎座),公卿の息女が宿場女郎に転落した巷説を舞台化した《桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしよう)》(1817年3月河原崎座),俳優の日常生活を舞台化した〈世話の暫〉の《四天王産湯玉川(してんのううぶゆのたまがわ)》(1818年11月玉川座),菊五郎,幸四郎の亀山の仇討《霊験亀山鉾(れいげんかめやまぼこ)》(1822年8月河原崎座),菊五郎,半四郎,団十郎の不破名古屋と権八小紫の《浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなずま)》(1823年3月市村座),清元《累(かさね)》を含む《法懸松成田利剣(けさかけまつなりたのりけん)》(1823年6月森田座),その最高傑作である《東海道四谷怪談》(1825年7月中村座),深川五人斬事件を劇化した《盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)》(1825年9月中村座),また番付にみずから一世一代と銘うった最後の作《金幣猿嶋郡(きんのざいさるしまだいり)》(1829年11月中村座)などがある。その年11月27日没し,葬礼に際しては《寂光門松後万歳(しでのかどまつごまんざい)》と題する正本仕立ての摺物を配らせ,自分の手で死を茶化した。…

※「《霊験亀山鉾》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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