世界大百科事典(旧版)内のアウド王国の言及
【アニース】より
…インドのアウド王国治下に活躍した詩人で,同時代のダビールMirzā Dabīrと共に殉教史詩マルシアMarsiaの最高峰に位置づけられている。ファイザーバードで生まれたアニースの家系は,曾祖父のザーヒク,祖父のミール・ハサン,父のハリークと代々著名な詩人であり,彼もまた父親に詩作を学んだ。…
【インド大反乱】より
…最後のムガル皇帝バハードゥル・シャー2世は形骸として存続していたが,いくつか残った藩王国もサターラーやジャーンシーのように,〈王に嫡出子がない場合は養子を認めず,王国は東インド会社が併合する〉とする〈失権政策〉により併合された。多くのシパーヒーの出身地であり,まだ若年の王を頂くアウド王国は〈失政〉を理由に理不尽に併合され,シパーヒーの憤激を買った。さてシパーヒーはプラッシーの戦に東インド会社に使われて以来その人数が膨張し,反乱直前には20万ともいわれたが,征服過程の終了とともに彼らの必要性は減少しつつあった。…
【ラクナウ】より
…インド北部,ウッタル・プラデーシュ州の中央部にある州都。首都デリーの東南東約485km,グムティ川の右岸に発達する行政・文化都市。カーンプルに次いで州内第2位の人口をもつ。人口161万9000(1991)。ガンガー(ガンジス)中流域の交通の要衝に位置するため,町の起源は13世紀にさかのぼる。16世紀中期には,シェール・シャー藩王国の一中心都市として栄えたが,1775年以降,ムガル帝国下のアウド藩王国の主都として発展した。…
※「アウド王国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」