世界大百科事典(旧版)内のアグリー,J.の言及
【留学】より
…もっともフランス領の場合と違って,イギリス領ではキリスト教伝道団体が教育のおもな担い手であったから,そのルートでアメリカへ留学する者が少なくなかった。留学生にとってアメリカの黒人教育と運動の影響をまぬかれないのは当然であるが,黒人と白人の協調を唱導しフェルプス・ストークス委員会の唯一のアフリカ人メンバーであったJ.アグリー(1875‐1927)が多くの留学生の代表であるとすれば,他方には独立運動の指導者となり,M.M.ガービーの影響を強く受けてパン・アフリカニズムを唱えたK.エンクルマや,ナイジェリアのN.アジキウェらがいる。 アフリカの独立が日程にのぼって以後,各国に高等教育機関がつくられたが,旧宗主国との関係は今もって緊密であり,優劣の構造は変わっていない。…
※「アグリー,J.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」